文学雑感

三好達治の詩

録りだめた録画を見ていたら、ドラマ「ミステリと言う勿れ」に三好達治の詩が登場しました。爆破犯が呟くその詩は、「乳母車」という詩でした。

 母よ―――
 淡くかなしきもののふるなり
 紫陽花いろのもののふるなり
 はてしなき並樹のかげを
 そうそうと風のふくなり
             三好達治「乳母車」第1連

この詩は、私自身も高校の現代文の授業で教わった詩です。 この詩の3連に出てくる「天鵞絨(びろうど)の帽子を/冷たき額にかむらせよ」の表現が当時クラスにウケて、「私にびろうどの帽子をかむらせよ」なんてふざけて言い合ったなあ…と、扇形校舎の教室の日々を思い出しました。

最近は三好達治の詩が教科書に登場することも少なくなった気がしますが、この「乳母車」の収められている詩集『測量船』には、他にも「甃(いし)のうへ」「郷愁」といった有名な詩があります。二階から「三好達治集」を探し出して、老眼鏡をかけながら、小さな詩の数々が収められた分厚いページをめくりました。

詩集『測量船』の最初にある短歌
  春の岬旅のをはりの鴎どり
  浮きつつ遠くなりにけるかも

の書が「三好達治集」の冒頭を飾っています。(写真)

「郷愁」にも思い出があります。中2の担任をした時、貼り絵コンクールでこの詩を題材にした貼り絵をクラスみんなで作り上げたことを思い出します。その時のコンクールのテーマが「海」だったことから、私がこの詩を紹介し、生徒たちがこの詩をもとにデザインを考えてくれたのでした。私は、「郷愁」の最後の3行が大好きなのです。
――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして、母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。
当時の2年藤組のメンバーたちは、この詩を覚えているかしら?

また、ドラマの中で主人公が雨を見ながら呟いた「雨は蕭々と降つてゐる」も三好達治の詩。「大阿蘇」という詩の一節です。忘れ去っていた詩と再会して、とても懐かしい気持ちになりました。久々にこの詩も読み返してみました。この詩の終盤部分に「もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう」という一行があるのですが、阿蘇の雄大な自然と人間の営みの小ささとを対比したようなこの一行を、改めて感慨深く味わいました。脳裏に、今まで三度訪ねた阿蘇の地をよみがえらせながら…。

思いがけず再会した詩人といくつかの詩。 「ミステリと言う勿れ」 を見ている人も少なくないと思いますので、どうぞドラマからちょっと飛躍して、三好達治とその詩にも触れてみてください。

児童文学者の訃報

今朝の朝日新聞「天声人語」は、先月亡くなった児童文学者の松岡享子(きょうこ)さんがテーマでした。松岡さんは童話「くまのパディントン」の訳者です。「天声人語」には、松岡さんが子どもへの語りの活動に力を入れていたことが紹介されていました。今の子どもたちが語りへの反応が薄いことを松岡さんは「大人が発する言葉の軽さ」が原因なのではないかとおっしゃっていたそうです。 「実のある言葉を選び、心を込めて子供に語れ」 と松岡さんはずっと訴えていらしたと言います。

松岡さんは、ディック・ブルーナの「子どもがはじめてであう絵本」(福音館書店)も訳していらっしゃいます。「うさこちゃんシリーズ」は、私自身、子育て中にずいぶんお世話になりました。子どもに読み聞かせていたことを思い出します。あの絵本の言葉一つ一つに、松岡さんの思いが込められていたのですね。

実のある言葉、という表現に、思い浮かべた別の人の言葉がありました。

ひとりひとりは愚かで弱い、無力な存在ですが、その愚かさや弱さの自覚に立ちながら、言葉を実のある言葉にしていかなければなりません。

       紅野健介(【日本大学文理学部学部長メッセージ】正義と自由の旗標のもとに)より

美辞麗句が飛び交い、軽薄な言葉で感動が作られていること、間違った使い方を正当化してしまうような風潮、人を傷つけ容赦なく攻撃するナイフのような言葉…。今の世の中に「実のある言葉」がどれだけあるのでしょうか。

「実のある言葉を選び、心を込めて子供に語れ」という松岡さんの訴えに、私たち大人はもっと耳を傾け、実践しなくてはならないのではないでしょうか。自分自身に真摯であるとともに、次の世代を育てていく責任を大人はもっともっと重く捉えなくてはなりませんね。