研修旅行3日目 平和研修

ハウステンボスを後にしていよいよ長崎市内へ。長崎市内はこの研修旅行の大きな目的のひとつである長崎平和研修の地です。原爆と長崎の街についてガイドさんから案内されて平和公園へ到着、まず献鶴式を行いました。

献鶴式

「昭和20年8月9日11時2分、一発の原子爆弾がこの地に住む7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出しました。それから69年がたった今も世界には争いや紛争が絶えず、核兵器の廃絶への道のりも遠く、平和への祈りは未だ届かないのかもしれません。しかし長崎の高校生たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」の精神に共感し、今この地を訪れた私たち西遠生146名は微力ながら千羽の鶴を掲げ平和のために尽力することを誓います。」
この言葉とともに月組の池川さんが5年生全員で折った千二百五十羽の鶴を代表で献上しました。

続いて演劇部員による「喪服の太陽」の群読の披露です。

この「喪服の太陽」の群読は2年前にこの地を訪れた演劇部の先輩方がこの献鶴式で披露したものです。それを今年の演劇部員がその思いを受け継いだものです。長崎の平和の像を目の前にして聴く群読は、原爆の悲惨さを訴える迫力と重々しい言葉のひとつひとつに胸を詰まらせる瞬間でもありました。
とても厳粛な雰囲気でこの式が行われ、今日は数多くの団体が同様の式を行っていましたが、その中でも一際立派に式が行われ、通りがかった外国人観光客も思わずカメラを構えるほどでした。一人一人が平和への誓いをたてるとともにこの式を境に気持ちの切り替えをしてその後の平和研修へ入りました。
長崎平和研修
「長崎平和研修」と題して今回は原爆ゆかりの地をクラスごとにガイドさんの案内で散策しました。散策のコースはクラスごとに異なりますが、代表的なものは以下の通りです。
原爆で大きな被害を受けた山里小学校の防空壕跡

自らも被爆し重傷を負いながらも負傷者の救護や永井博士が病気の療養しつつ数々の原爆に関する書物を執筆した如己堂


原爆落下中心地

その他、原爆による壊滅的な打撃を受けた浦上の町を象徴する浦上天主堂や城山小学校などをまわりました。


各自の事前研修や永井博士の作品の「この子を残して」の映画を見て原爆の恐ろしさについて事前に研修してあっただけに、実際の足で歩き、実際の目で見たものは更に印象深いものでした。散策の最後に訪れた原爆資料館での見学にもより高い意識でのぞむことができ、資料のひとつひとつをよく読み、中には資料館を2回通り見てまわる生徒もいたほどです。大変内容の濃い平和研修を行うことができました。
和田耕一さんによる被爆者講話


そしてホテルでは長年この九州研修旅行で長崎を訪れる度にお世話になっている被爆者の和田耕一さんから講話を聴かせてもらいました。87歳となられた和田さんは何度も何度も、戦争を振り返り『死を覚悟するような嫌なことやどうにもならないようなことはあるだろうが、明るい未来を夢見て、今日がダメなら明日、明日がダメなら明後日があると頑張ってここまで生かしてもらってきた。どうかその気持ちをもってこれからを生きていって欲しい。そして日本の平和を受け継ぎ世界の平和を実現するのはあなたたちです。西遠のあなたたちなら大丈夫です。どうか平和を担う人になってください。』と熱のこもったメッセージを伝えてくださいました。これを受けて誰一人集中を切らすことなく、最後まで語り部である和田さんのメッセージを一言も漏らさぬように聴き、これを受け継ぎ誰かに伝えて行かなければという強い思いに満ちた時間でした。