小百合葉子さんの世界

思い立って、クリエイト浜松に出かけてきました。

クリエイト浜松5階の浜松文芸館で、今、特別収蔵展「小百合葉子 ~劇団たんぽぽとともに~」が行われています。

今日出かけたのには理由がありました。朝日新聞の「古典百名山」№85で、平田オリザ氏が「坪内逍遥」を取り上げたからです。「小説神髄」を発表した坪内逍遥について、オリザ氏は、「近代文学も近代演劇も、坪内の中では完成されたものだった。だが、それを実現する術(すべ)を彼は持っていなかった」とまとめていました。ここを読んで、猛然と反発したくなって、クリエイトを訪ねたのでした。

小百合葉子さんは、坪内逍遥先生のお弟子さんです。坪内逍遥は、近代演劇を一代では実現できなかったかもしれないけれど、彼の蒔いた種の一つが、小百合葉子さんの情熱と努力によって劇団「たんぽぽ」という一つの大きな児童演劇の花を咲かせていることを、私はこの目で確かめたかったのです。

誰もいない展示室で、一つ一つの資料をゆっくり見学することができました。坪内先生との絆もさることながら、やはり「西遠」が展示の中に登場することが私にはとても親しみ深いものでした。上の写真の中央一番奥に、テレビがあるのがわかりますか? 西遠に関係する皆さんには、ぜひこのテレビ番組を見ていただきたいです! 

リピート上映されていたのは、小百合葉子さんのインタビューを中心にした13分の「あのまち この人」という番組でした。1985年10月6日に放送された番組だそうです。なぜこのテレビ番組を見ていただきたいかというと、ここには西遠の講堂で行われたたんぽぽの公演の模様がたくさん登場するからです。客席の生徒たちもたくさん映っています。懐かしいグリーンの客席や、講堂の舞台裏も映り込んでいました。他に誰もお客さんがいないのをいいことに、私はテレビ桟敷で2回どおりも観てしまいました!

この番組の中で、小百合さんは「坪内先生の言葉」として、「お芝居は無学の人の早学問」「芝居は品位を持って、どこまでも教育的でなくてはならない」ということを紹介しています。坪内逍遥の頭の中にあった近代演劇は、小百合葉子さんの全身を通して、実現への道を辿ったのだと思いました。

1985年10月と言えば、小百合葉子さんが亡くなるわずか2か月ほど前の番組です。募金を持って劇団を訪ねた時に、代表の上保節子様が「本当にお元気だったのに、突然亡くなられて」とおっしゃっていたことを思い出しました。演劇人会に出席されたり、親友の女優村瀬幸子さんと楽しそうにおしゃべりをされたりする番組の中の小百合さんを見ると、本当にお元気で、このわずか数か月後に逝去されるなどと誰一人思わなかったでしょう。けれど、今回展示された村瀬幸子さんの弔辞を読むと、1月になって再会した小百合さんはどこか遠いところを見ているようだった…と。もしかしたら、その直前の12月31日に亡くなった岡本富郎先生のことがあったからだろうか…と想像せずにはいられませんでした。

展示室には、劇団で使用された衣装やぬいぐるみたちもたくさん展示されています。どうぞ手にとってご覧ください、という素敵な言葉も添えられていました。

展示室前の廊下のガラスの中には、今年5月に朝日新聞で連載された「遠州考 『劇団たんぽぽの心』 」の4回の記事が展示されていました。

浜松文芸館 特別収蔵展「小百合葉子 ~劇団たんぽぽとともに~」は、中区クリエイト浜松5階にて、10月18日(日)まで開催されています。入場は無料です。 たくさんの方に訪れていただきたい、心あたたまる場所です。

【追記】会場でリピート上映されている番組で登場する西遠の講堂での公演は、「友情」で調べてみると、157号に載っていました。昭和60年9月28日に行われた「翼を開け天使たち」というお芝居でした。中学1,2年生が鑑賞したと書かれています。私はこの時、教員として在籍していたのですが、どうしてこの演劇のことが記憶にないんだろう?と思っていました。この日は、中3以上は市民会館で行われた高校の演劇教室「柳橋物語」に行っていたのです。私もそちらに同行していて、たんぽぽの舞台を見られなかった…。今思えば、お元気な小百合葉子さんを拝見する貴重な最後の機会を私は逃がしていたのでした…。