私の「感じる、考える、行動する」 ~集会記録より 3~

5月17日に行った「中学講堂朝会」では、「感じる、考える、行動する」というタイトルで、3つのお話をしました。「美」「学習」そして、「慰霊式」。今日は、最後の話題「慰霊式」に対する生徒の感想をお届けします。

講堂朝会では、「殉難学徒慰霊式でどんなことを感じ、考えましたか?」という質問をし、近くの人と意見交換をしてもらった後、マイクを向けると、5人の生徒が自分の意見を述べてくれました。

5人ともしっかりと感想を述べてくれました。そのあと、私から慰霊式の歴史を説明し、慰霊式での木場笑里さんのメッセージをもう一度紹介しました。友人たちの意見や、私の話、そして木場さんのメッセージを聴いて、生徒たちはどんなことを考え、誓ったのでしょう。

初めて参加した慰霊式で、先輩の作文や先生のお話を伺い、平和についての考え方が変わり、戦争についての理解が深まりました。以前は、戦争がないことが「平和」だと思っていたけれど、3人の「平和の作文」を聞いて、「平和」ということは、安心して暮らすことができ、支えてくれる家族がいること、そして衣食住が十分あることだと感じました。そして、平和を願い、今の平和な生活に感謝して生活していくことが大切だと考えました。(中学1年)

慰霊式のお話では、先輩方も言っていたように、平和について慰霊式だけ考えるのではなく、普段の日常の中でも考え、自分の中で平和に対しての思いを確立していきたいなと思いました。自分一人ではできないことがとてもたくさんあるけれど、西遠には「戦争は絶対にしてはいけないものだ」と考え行動している先輩方がいて、先生方がいます。私は平和の作文を作成している中で、戦争をなくせるように行動したいと思いました。だけど、何をすればいいのか、自分には何ができるのかを考えると、行き詰ってしまって動けませんでした。今日、木場さんのメッセージを改めて聴き、できることから少しずつ少しずつやっていけばいいのだと分かりました。一人一人が戦争のない世の中にしなくてはいけないと思い、自分にできることを自分の手の届く範囲でやれば、大きな力になると思います。その第一歩を「私たちの平和宣言」のように、浜松の小さな力から始めていけばいいなと思いました。(中学1年)

去年の慰霊式では平和の作文を書くために、実際に被災された方からお話を聞きました。お話を聞いている上で、そうだったんだ、怖かっただろうなと衝撃をたくさん受けました。でも、聞いた話を母に話したり、友達と感想を伝え合ったりはしませんでした。なので、これからは戦争について考えたこと、実際に被爆された方の貴重な体験をまずは両親に話すことから始めて、戦争と平和について考えることができたらいいなと思いました。(中学2年)

私は今日この中学講堂朝会をとおして、「戦争を自分ごととして考える」という言葉はすごく大切だと感じました。つい先日、慰霊式があり、私にとっては2回目の慰霊式でした。1年生のときはあまり戦争にも詳しくなく戦争=怖いものとして捉えていたのもあり、あまり戦争について考えることをしてきませんでした。しかし2年生になって、1年生のときに聞いた実際の戦争体験や2年生で戦争について書かれた本を読むうえで戦争は全く他人事ではないと感じました。なぜならば、もし自分の家族が経験していたらと考えると、とても他人事とは言えないと思うからです。みんなが「私には関係ない」や「過ぎたこと」などと言ってては絶対に世界を平和にすることはできないと思います。実際、私たちが「平和にするためには〇〇する」や「全国の核兵器をなくす」などと言っても世界規模で見れば実現できないのが現状です。ですが、だからといって戦争から目を背けるのではなく、自分達にできることに取り組んでいくことが大切だと考えました。西遠は平和について考える場面がたくさんあり、私はその機会はとても良いものだなと思いました。例えば、人々が戦争体験者が少なくなり戦争について考えることが少なくなってきている中で西遠は、課題の中で平和の作文があったり、その作文の読み合い、慰霊式などを通して、自分の考えを発言する機会や相手の意見を聞く機会もたくさんあるので、自然と平和について考えることができると思ったからです。そして私は、この講堂朝会で、改めて戦争は絶対してはいけないし起こしてはいけないものだと考えました。戦争は、人の命や時間など失われたら二度と手に入らないものを一瞬にして壊してしまうし、今までの日常も灰にしてしまうから、戦争を起こすことは簡単でも戦争をしたあとのことを世界中で考えて行く必要があると思いました。最後に私達は西遠で行われる貴重な体験をしているからこそ、一人でも多くの人に語り部として伝えていくことも大切だと思います。さらに、「戦争を自分事として考える」を意識していつ何があるかわからないから一日一日を大切にしていくことも大事だと考えました。(中学2年)

慰霊式は元々戦後だいたい50年で終わるのに、その時の生徒会長が自分たちでやりたいと言って、ここまで高校生徒会を中心に動いて作られたのはほんとにすごい話だなと思いました。その時の生徒会長もすごいと思いますし、それを今まで受け継がれている事もとてもいいなと思いました。西遠にはアンネのバラや被爆二世クスノキなど、戦争などに関する植物が植えられていて、とても戦争や平和に意識が向いてるなと思いました。西遠が慰霊式のような行事を大切にしているからこそ、みんなも一年に1度戦争について考えられる機会があるので、とてもいいです。(中学3年)

今年は戦争から80周年というとても重要な年です。私はこの80年の年に西遠で慰霊祭に出席する事ができてとても良かったです。小学生の時、戦争についての授業を受けたことがありました。そのときに隣の席の男の子が「戦争ってなんかかっこいい、してみたいな」という発言をしていました。その時私は笑って流してしまいました。その時はなんとなくで笑ってしまった私ですが、今回校長先生の話を聞いてその時私がどんなにしてはいけないことをしたんだと改めて思いました。最近戦争が始まりそう、戦争から◯◯年がたったなど戦争という言葉はテレビや新聞などでたくさん耳にするようになりました。このたくさん耳にする状況が良いのか、私は戦争がもうこの世界で一生なくなるのが一番の幸せだと思います。無関係な国民が戦争に行かされ、まるでゲームの世界のように人々の命を使われる戦場に送り出されるそんな時代が私達の生きている今に起きていると思うとまったく想像のできないことばかりです。私達は戦争はいけないと思っていますが、そんな戦争をしている国にもし私が生まれていたらきっと戦争は良いことと捉えてしまうのでしょう。戦争をすると私は本当の自分がいなくなってしまうような気がします。そんな生活、今の平和な日本に住んでいる私からしたらほんとうに悲しいことです。戦争をしていていつ死んでしまうのか震える生活をしている方がたくさんいます。今の平和な日本に生まれてきたことも今ここで生活できていることも運命であり、当たり前だと思ってはいけないと思います。なので今ここにいることに感謝し、今私ができるすべてのことを一生懸命取り組み、1日1日大切に頑張っていきたいと思います。慰霊式で学んだことは他の学校では学ぶことはないと思うので、慰霊式という行事を今後も大切にし、私達西遠生みんなで作り上げて行きたいと強く思いました。今年は例年とはだいぶお花の数や折り紙のつるの数だったのではないでしょうか。今年私はつるを折る理由がわかったような気がします。正解なのかはわかりませんが、ツルを折ることでこの一枚のツルに自分の平和についての思いを乗せるのではないかと私は思いました。このツルを世界中が一生折ることができる世界になってほしいと今年強く感じました。(中学3年)

集会記録、とても読み応えがありました。慰霊式を「自分事」として一生懸命「できること」を考えている生徒たちにグッとくるものがありました。

慰霊式から早くも半月が過ぎました。戦後80年という節目の年に、これからも戦争のこと、平和のことを考え続けていきたいと思います。6月には、浜松市の戦災死者慰霊祭もあります。8月には、映画「火垂るの墓」が久々に放映されることになりました。西遠生として、感じて、考えて、できることからコツコツと行動していきたいものです。