全校講堂朝会「学園の『歌』の物語」

6月20日1時間目の「全校講堂朝会」では、「学園の歌」を巡る様々な物語を紹介しました。

取り上げたのは、次の5つの歌です。

  • 「灯を高く」
  • 「力の限り」
  • 「校歌『我らの母校』」
  • 「愛の灯」
  • 「創立讃歌」

最初の「灯を高く」は、ヘレン・ケラーの言葉をもとにできた曲です。入寮式と退寮式で歌うこの曲は、生徒の人気が一番高い歌でもあります。
私は、この歌から、今年のパフォーマンス大会の6年星組の作品を「物語」として取り上げました。

ヘレン・ケラーがくらやみの絶望の中から「物には言葉がある」ことを知り、世界が拓けていくまでを、6星のメンバーは皆で創作ダンスに仕上げました。そこには、21世紀型スキルで言えば、「創造とイノベーション」や「問題解決力」などが発揮されています。深いテーマをどうやったら皆に届けられるかを考え、見事なパフォーマンスにしたこの作品は、「灯を高く」の歌から続く、ひとつの物語です。

講堂朝会の最後に歌う「力の限り」について、岡本富郎先生の「黄金の鋲」の言葉を紹介しました。

この歌は、富郎先生ご自身の青春の一首なのですね。それを、自らが校長を務める学園で、生徒たちに継承していった富郎先生の熱い想いを感じます。
「力の限り」のもととなった九条武子さんの短歌「見ずや君  明日は 散りなん 花だにも力のかぎり ひと時を咲く」を紹介し、その生涯についても紹介しました。

西遠の校歌は、岡本富郎先生と親友で詩人の安部忠三氏との友情から生まれました。このお話は、今まで講堂朝会でも何度かお話してきましたが、「黄金の鋲」には次のように書かれています。

私が、学園に就職してから一か年、或る春の日、詩人の安部君が大阪からはるばる、学園を訪れてくれた。晩春の夕べ、二人は天竜の川畔をそぞろ歩きしていた時のことであった。私が、かねがね念願の寮歌の作詩を依頼していたことを思い出したのだろうか、それは、いわゆる校歌的型式のものでなく、卒業後、家庭の台所で立ち働きながらでも、数名の友が集った時でも、また孤独の寂しさに耐えかねた折でも、若き日を偲び自然と口ずさみ、合唱できるような抒情的な詩型を望んでいたことを、安部君は忘れていなかったのだろう。
月の光が白々と天竜の川面にきらめくのを眺めながら、堤防に腰を掛けていた、その時である。安部君に詩情が湧いたのか、土堤の草原に腹ばいながら、紙片にさらさらと、寮歌の粗稿をしたため、やがて帰宅後、その夜遅くまで、推敲に推敲を重ねて、一夜で書き上げたのが、現在の学園の校歌である。それは、若い詩人らしい感傷的な美しい言葉であり、親しみやすい詩であった。私は深い感動に打たれ、そしてその友情に感謝した。私はこの親友の友情をとこしえに残したいと思い、昭和7年、学園の校長に就任した時から、校歌として採用することにした。
     岡本富郎著「黄金の鋲」より

校歌に込められた富郎先生の想いを引き継ぐように卒業生たちは校歌を愛して歌い継いできました。その中のお一人が、西遠の後輩たちのために寄贈してくださった横幕の物語も、併せて紹介しました。(この物語は、ぜひこちらからお読みください。)

殉難学徒慰霊式で歌う「愛の灯」の作曲者である新美博義先生は、私にとっては恩師でもあり、新米教師時代の大先輩教員です。温厚で情熱的で、素敵な先生でした。新人の私に、優しくそして厳かに西遠の教師としての矜持を教えてくださいました。今も先生の素晴らしい歌声が耳に蘇ります。
私は、高校時代、音楽の授業で、先生の戦争体験を聞き、「愛の灯」の作曲にまつわるエピソードを教えていただきました。たくさんの卒業生の胸に刻まれているであろう「愛の灯」作曲の物語を、今日は私から生徒の皆さんに伝えました。

最後は「創立讃歌」の物語です。最初に、西遠生としてこの詞を書きあげた田村以津子さんを、創立100周年記念誌からご紹介しました。
そして、作曲者である大中寅二さんを紹介し、その奥様である大中香代さんとの出会いから始まった公式サイト「戦後80年 西遠の記憶」のインタビューシリーズのこと、演劇部と大中さんとの交流のことなどをお話しました。

「創立讃歌」が生まれ、それを3月3日に毎年歌い継いでいること。そして、作曲家の奥様から西遠時代の戦争体験のお話を聞いたことで始まった取り組み。若い世代の「平和」希求の活動。
…今日の講堂朝会は、西遠の歴史の中にあるたくさんの物語を、全校の皆さんに伝える時間となりました。学園の「歌」は、人と人の出会いから生まれ、西遠の様々な「想い」を乗せて、歌い継がれていきます。そして、新たな物語もまた学園生活から生まれていくのでしょう。
今日の講堂朝会を契機に、学園の歌を歌う時、たくさんの物語を感じながら歌ってくれたらとても嬉しいです。