用務員室から no.4


 先日、教室のロッカーの修理を頼まれたので、放課後に工具を持って向かいました。金具が外れてしまったり、木ねじがゆるんでしまったりと、ロッカーの修理の依頼はときどきあります。
 教室には残っている生徒が数人いて、僕は声をかけてから教室の後ろで作業を始めて、背中越しに雑談をする声を聞きながら手を動かしていました。テレビアニメの面白かった話、学習塾でのできごと、最近起きたハプニング、ほんとうに他愛もない会話なのに本当に楽しそうに笑い合っていて、しかもテンポが良いので、聞いていてとても心地よいのでした。そして、二人とか三人とかで別々の話を別々の場所で話していたのが、いつのまにかみんなで車座になって話していて、そしてまたいつのまにか一人、二人と抜けて行きました。
 こんな、「小さなことで大きく笑っている」状態に僕は何よりも幸せを感じるのです。自分がそうなっているときも、誰かがそうなっているときも、ふわーっと体が軽くなって時間が止まったような感じで気分が良いです。自分もみんなも、今までいろいろあったし、これからもいろいろあるだろうけれども、ただその瞬間だけは、ただ笑っている、というだけの、過去も未来も他者も世の中のあれこれも、何も関わらない「無」のような状態に思えて、だからこれが永遠に続いてほしいとさえ思ってしまいます。
 少し前の学園祭のときの、大きなことで大きく笑っているというのは、ぱっと光ってすっと消えてゆく花火のようです。終わった後のさみしさも付いてきます。学園生活で、こういう花火が上がるのは一年を通じてもほんの数日だと思います。勢いで乗り切ってしまうこともできるのかもしれません。「あとの何百という普通の日々をどのように過ごして行くのか」ということを、ひとつの行事だと考えてみたら、目の前の小さなことにも小さな価値が生まれて、その小さな火の粉の一筋のようなできごとが、きらきらと数百日分集まって大きく輝きそうです。普通の日は普通に、特別な日は特別に過ごすことができるような学園であれば良いな、と思うのは大きすぎる理想なのかもしれません。それでも今日も僕は、目の前の小さな環境整備をしています。

文責 佐藤文彦