「美」について考える ~講堂朝会感想より 2~

テストが終わり、生徒たちは解放感に浸っているであろうと思います。近づく夏休みも、待ち遠しいことでしょう。こういう時には、気持ちが大きくなりがちですが、身の安全はもちろん、西遠生としての自覚を持って行動してほしいと切に願っています。

6月の全校講堂朝会「私たちは美しいのか」では、生徒それぞれが感じる「美」について話し合う時間を取り、校訓や「エレガントたれ」という言葉を掘り下げながら、西遠生として美しく振舞うことについて話しました。この訓話への生徒の感想第2弾を、今日はお届けします。

私が見つけた「美しいもの」

  • 私は内面的なことが美しいにつながっているのだと思う。例えば、どんなにきれいな姿かたちをしていても、心がきれいでいなければ、それは美しいとは言えない。虫だって、鳥だって、厳しい自然の中で一生懸命生きているからこそ美しい。それを言ったら、おじいさんおばあさんだって美しい。この世界は、美しいものであふれており、一人ひとりが美しさを秘めている。でも、最近そういう美しさに気づかない人が多い。外の美しさに気を撮られ、中の美しさを見ようとしない。本当に大切なのは、中の美しさだと私は思う。(中学1年)
  • 私が最近、美しいなと感じたものが3つあります。1つ目は空です。雲が一つもない快晴の空、夕焼けでオレンジに染まった空、雨が降り出しそうな空も好きです。2つ目は夕日に照らされたアクトタワーです。西日に照らされて一部が輝いていたアクトタワーはとても美しく感じました。3つ目は友達です。真剣に授業を受ける友達の横顔が美しいです。これは特定の人ではなく、真剣に授業を受けていたり、何かに一生懸命取り組む姿をみると美しいなと感じます。(中学2年)
  • この集会記録を書いているときに思い出したことが2つあります。一つは、家の近くにある川沿いの桜並木です。そこは4月になると満開の桜がさいてとてもきれいです。それが川に反射していたり、道路が桜の花びらのじゅうたんになったりしています。風が吹くと花びらがひらひらと舞っていて、とてもきれいです。もう一つは祖母が通っているお煎茶のお教室でのことです。小学生の頃、何度かお茶会にお茶を出す側で参加したときに、お茶を入れたり、お客さんにお出しする動作にはきまりがあり、お茶菓子をいただく際もお作法があり一つ一つの動作が丁寧で美しいなと感じました。(中学2年)
  • 私が最近見た「美」はいくつかあります。一つ目は、毎朝晴れていたら電車の中から富士山が見えることです。これは、電車に乗っていなければ見れない景色だなと思いました。夏は晴れているので、すごくきれいに見えます!冬も、雪の積もった富士山が見えて毎日いい気分になっています。2つ目は、ゴミ拾いをしていることです。たまに登校中にゴミを拾っている地域の人を見かけます。それを見ると、いい気持ちになるし、私もそういう行動をしないとなと思います。学園の中を美しくするために、小さなゴミでも落ちてたら拾いたいなと思います。雑草でも抜きたいなと思います!3つ目は、福岡にある糸島というところです。英会話の授業で、夏休みにしたいことというお題でスピーチすることになって、福岡について調べていると出てきた島でした。直接行ったことはないですが、画像で見た瞬間「美しいな」と思いました。早く行ってみたいなと思いました!(中学3年)
  • まず私が美と聞いて最初に浮かんだのはきれいな風景です。雲ひとつない青空や夕日に照らされ光る家々、きらめく海など身近な大自然が頭に浮かんできました。特に大雨の日のあとに来る清々しい晴れの日はとても美しいです。気分が上がるし一日がハッピーになります。(高校1年)
  • 「あなたが、最近『美』感じたものはなんですか。」と校長先生に問われたときに出てきた答えは、与謝野晶子の「みだれ髪」でした。文豪作品ましてや詩集という、中学2年生の私にとっては遠のいていた分野の本ですが、ふと何かのきっかけで手に取ったとき、その美しさに衝撃を受けました。今回、校長先生が述べていたお話を聞いて、なぜあれほどに美しいのかと改めて考えました。そして、それは「言葉遣い」だと思いました。ありきたりな答えではありますが、登場人物や心情を表現する際の言葉の美しさがあったのだと気づきました。朝読書週間に読みかえそうと思い、久々にページを開いたところ、やはりあのときと色褪せない美しさに溢れていて、圧倒されました。(高校1年)
  • 私は少し前に訪れた平等院鳳凰堂に美しさを感じました。彫刻、庭園、建築、絵画に優れていて千年輝き続ける美のミュージアムに魅了されました。どこから見ても美しく言葉が出ないくらい感動しました。歴史を感じ絵になる美しさに人々は感銘を受けたと思います。私は日本史が好きなので教科書で見たことのある写真に実際に自分で足を運ぶことができとても嬉しかったです。(高校2年)

先輩の姿から学ぶ「美しさ」

  • 夏に制服のカフスを暑くて外したくなったり、冬にセーターの中に手を入れたくなります。去年の掃除の班の6年生の先輩はどんなに寒くても必ずセーターから手を出していました。あの先輩のように美しい身だしなみを心がけたいです。美しいという言葉は色々なものを言い表せる言葉だと思いました。この学校では入寮で作法を学べるので7月の入寮でしっかり身につけて生活に活かしたいです。これからは停止礼をしっかり止まって感謝の気持を込めてする、制服のカフスをしっかり止める、あいさつをしっかりすることの3つを西遠生として学園外でも心がけて、自分の「美」について考えたいです。(中学2年)
  • 高校卒業式で、毎年オーケストラボックスから見る卒業生の横顔は、とても凛々しく、かっこよく、ずっと関わってきた先輩であるはずなのに、どこか手の届かないような存在のように感じられます。きっとそれこそが、エレガントである人のもつ雰囲気であるのだと思います。自分もその先輩方のように、西遠生としてのプライドを持ち、常に凛としていたいです。(高校1年)

学園生活の中で身につけること

  • 箏曲部に所属しているわたしは、オープンスクールや体験イベントの際に美しい自分になれるよう気をつけています。自分は西遠生の1人であるということに責任を持ち、小学生にあの先輩、かっこいいなと思ってもらえるように努力しています。普段の部活でも、琴をひいているときは姿勢を正し、全校の前で発表するときにはさらに、美しい姿勢で取り組むということを入部したときから意識しています。これからも、たくさんの人の前で発表する機会や部活を通して小学生と関わる機会があると思うので今よりももっともっと美しい自分になれるよう心がけていきます。(中学2年)
  • 校長先生は私達は「西遠に守られている」という話もしてくださいました。私は、校則によって守られているという実感があまりなく、先生がおっしゃっていることがわからない部分もありました。しかし、最近ニュースを見て、若者(私達と同じような高校生、中学生)が犯罪の加害者、被害者になることが多いなと感じています。校則によって、予め巻き込まれる可能性のあるものの多くを規制し、安心して高校生活を送れるようにしてくれると思いました、そうすると、校則の存在意義があるし、自分や他の人の安全のために、よりしっかり守ろうという気持ちになりました。先生の言っていた「守られている」の意味がわかった気がします。(高校1年)
  • 西遠の校訓である「典雅」に見合う人になるために、日々の生活の中で意識を変えて努力をしたいです。自分の心や生活をより良くするためには普段の生活を変えたり、ちょっとしたことに目を向け配慮したりすることが大切だと思います。身なりの外見の美しさもそうですが、心が豊かで美しいというのが一番大事だと私は考えます。なので、自分の悪いと思っているところを直せるようにしていきたいです。先輩の美しいところを見習い、後輩にもそうやって思ってもらえるように頑張ります。(高校2年)

生徒たちの真剣な感想は、読んでいてとても爽やかです。 真っすぐ成長してほしいと思います。

集会記録は、まだ点検の最中ですので、この項は続きます。