山田太一さんを偲ぶ

先日、脚本家の山田太一さんの訃報に接して、寂しい気持ちでいっぱいになりました。山田太一さんは私が最も好きな脚本家です。中学3年生の頃から、彼の作品を見て育ち、本が出れば彼のシナリオ集を買い、ドラマを復習するような気持ちでページをめくりました。子育ての時代も、彼のドラマの再放送を娘と息子に見せたものでした。特に「男たちの旅路」は、おそらく親子3代、妹弟とも語り明かしてしまいそうな番組です。

「男たちの旅路」は山田太一シリーズと銘打たれた土曜ドラマでした。NHK初出演の鶴田浩二を主人公にドラマを作るということで、山田さんが鶴田浩二の自宅を訪ねると、鶴田浩二から戦争の話を延々とされたというエピソード。鶴田浩二には制服が似合う、しかし警官や消防士ではなく、もっと自由に動かせる職業はないかと考えて「ガードマン」にたどり着いたという話。戦争を引きずり、若者が大嫌いと言う主人公「吉岡晋太郎」が出来上がり、わがままですぐ叱られる若者として、水谷豊や桃井かおりが出演しました。あの右京さん 水谷豊が、へらへらしては叱られ、言葉遣いを注意され、時にぶっ飛ばされ、おどおどしながら反発し…。鶴田浩二に叱られっぱなしの「右京さん」を今の若い皆さんが見たら、びっくりするでしょうね。最近(今年5月かな)、BSで再放送してくれたので、大好きだった根津甚八も登場した回「墓場の島」などは、母と二人で夜更かしして見ました。「シルバーシート」では車両ジャックをして立てこもる老人たちに、「車輪の一歩」では車いすの若者たちに、鶴田浩二の「吉岡晋太郎」が切々と語りました。「シルバーシート」で吉岡が発した「迷惑をかけたっていいじゃないか」という台詞は、当時、心に刺さりました。山田太一さんの社会への思いがあふれていました。今見ても決して古びていないセリフです。

もう一つ、忘れられない作品があります。それは、大河ドラマ「獅子の時代」です。1980年に放送された「獅子の時代」は、架空の主人公二人(一人は薩摩藩士、一人は会津藩士)が幕末から明治時代を駆け抜けるというストーリーで、パリの駅に降り立つ武士たちからスタートする斬新な大河でした。加藤豪と菅原文太、そして大原麗子がとても素敵でした。3人とも今は亡き名優…。良質なドラマでした。薩摩と会津の対立に始まり、加藤剛演ずる苅谷嘉顕は、明治政府に仕えながらも、世の行く末に疑問を持ち、帝国憲法発布の陰に命を落とします。一方の菅原文太演じる平沼銑次はアウトローを貫いて、最後は自由民権運動に身を投じ、秩父事件へと向かっていきます。架空の人物たちを羽ばたかせながら、日本史の真実を描き切った、と。当時たくさんの識者が高く評価しました。もう一度、あのドラマを一年間たどり直したい気持ちです。

笠智衆さんの主演ドラマも忘れてはいけません。老人を主人公にした、素晴らしい3部作がありました。特に、「ながらえば」は、せつないドラマでした。名古屋で入院している妻に会いに行こうと衝動的に電車に飛び乗る主人公(確か富山在住)が、いろいろなアクシデントに見舞われながらようやくたどりついた病室で、妻に「おりたい。一緒におりたい」と絞り出すような声で言う台詞が本当に切なく、今もその場面が脳裏に甦ります。山田太一さんはすごいドラマを描く方だと思いました。

20代で見ていた山田さんのドラマは、民放でも秀作が多く、「ふぞろいのリンゴたち」「思い出づくり」など、毎週楽しみに見ていました。でも、あまりにリアルな設定や、親子で対立する台詞が多く、親子で見るのはちょっと苦しかったです(笑)。人間描写にすぐれ、社会の隅々まで取材した山田さんだからこそですね。

山田太一さんはある時こんなことを言っていました。「3日でいいから、世の脚本家たちに、「視聴率を気にしないで本を書いていいよ、自由にドラマを作っていいよ』と言ってくれたら、どんなに素晴らしいテレビが生まれるだろう」と。視聴率やスポンサーを気にしてつくられるドラマ、視聴率至上主義の世の中で、その夢の3日間はかなわなかったけれど、山田太一さんの追求した良質で骨太のドラマは、これからもきっと色褪せず愛されていくことでしょう。様々な山田太一ドラマの再放送を、心から望みます。あとに続く脚本家たちの気骨にも期待します。