西遠の平和教育

明日6月18日は、浜松の歴史にとって大きな悲しみの残る日です。80年前、太平洋戦争の末期に、浜松は米軍の爆撃を毎日のように受けていました。地方都市の中でも図抜けて多くの爆弾を落とされたのがこの浜松です。中でも、1945年6月18日0時10分から始まった爆撃はすさまじいものでした。65,000発という莫大な数の焼夷弾により、1万5,000余戸の家屋が全焼し、1,717人の死者を出したのです。(参照:総務省HP「浜松市における戦災の状況」)

毎年、6月18日には、「浜松市戦災死者慰霊祭」が行われています。西遠女子学園もこの式典に毎年参加させていただいています。今年も高校の生徒会長・中央補佐と私の3名が参列します。平和への祈りを込めて、参列したいと思います。

西遠では、5月に行われる「殉難学徒慰霊式」を中心とした「平和」に関するプログラムが年間を通じて行われています。

殉難学徒慰霊式

動員学徒として工場に通っていた本校生徒と引率教員が4月30日と5月19日の爆撃により亡くなりました。その慰霊碑が正門から見える所に建つ「愛の灯」像です。そして、彼女らの死を悼み、高校生徒会が中心となって「殉難学徒慰霊式」が催されます。

今年の慰霊式では、戦後80年という節目の年にあたり、生徒たちだけでなく、卒業生や地元の皆さん、そして関係者の方々から寄せられたたくさんのお花と折り鶴が祭壇を飾りました。学園内外の「平和」を想う気持ちが、この日の舞台を作ったのでした。

長崎への祈りを込めて

高校2年生は、九州を訪れ、長崎の平和祈念象の前で「献鶴式」を行います。また、高校生徒会が中心となって、長崎に原爆が投下された8月9日午前11時2分に写真を撮って送る「忘れないプロジェクト」にも、先生や生徒が毎年参加しています。
長崎では、被爆者の和田耕一さんが毎年私たち西遠生を迎えてくださり、被爆体験を語ってくださいました。和田さんが引退された後、新たに「同世代と平和を考える」というプログラムが始まり、活水高校の平和学習部の皆さんとの対話集会が行われるようになりました。

「平和の作文」を書く

殉難学徒慰霊式に寄せて、西遠生は毎年春に「平和の作文」を書きます。戦争体験者のお話を聴いて考えたことを書いたり、岩波ジュニア新書やブックレットを読んで内容をまとめ、平和への考えを書いたり、学年ごとに「作文」の課題があります。気の重い課題なのかもしれませんが、日本の、そして世界の戦争の歴史を知ること、平和の大切さ、命の大切さを知ることを、こうした課題に取り組むことによって、自分の中に取り込んでいきます。そして、慰霊式の中で代表者が作文を読み上げ、皆で平和を考えるのです。

生徒が考える「戦争」「平和」

生徒たちは、学園生活の中で「戦争」や「平和」についてどんなことを考えているのでしょうか。中1から高3まで「慰霊式」を中心とした感想を紹介したいと思います。

初めて参加した慰霊式で、先輩の作文や先生のお話を伺い、平和についての考え方が変わり、戦争についての理解が深まりました。以前は、戦争がないことが「平和」だと思っていたけれど、3人の「平和の作文」を聞いて、「平和」ということは、安心して暮らすことができ、支えてくれる家族がいること、そして衣食住が十分あることだと感じました。そして、平和を願い、今の平和な生活に感謝して生活していくことが大切だと考えました。(中学1年生)

今年の慰霊祭は生徒会の役員として、慰霊式の手伝いを行いました。手伝いの中で私は花を生けました。生けているとき生けても生けてもたくさんの花が溢れていて、花を寄付してくださった方々がそれだけ西遠の慰霊式について思い入れがあったり、平和を思ってくださっているのかを感じることができました。また、今年の慰霊式について「だんだん、戦争を体験した方々が減ってきているから、その人たちから聞いたことを、後世に伝えていかなければならない。」という意見にすごく納得ができ、それと同時に今までそう思ってきたのにもかかわらず、誰にも話して来なかったことに後悔をしました。私はもともと戦争についてあまり興味がなく、戦争について少しでも知ることができたのは西遠に入学をしてからでした。去年の慰霊式では平和の作文を書くために、実際に被災された方からお話を聞きました。お話を聞いている上で、そうだったんだ、怖かっただろうなと衝撃をたくさん受けました。でも、聞いた話を母に話したり、友達と感想を伝え合ったりはしませんでした。なので、これからは戦争について考えたこと、実際に被爆された方の貴重な体験をまずは両親に話すことから始めて、戦争と平和について考えることができたらいいなと思いました。(中学2年生)

西遠に入ってから今年で3回目の慰霊式、平和の作文を発表した人たちの話を聞いて私が考えていたのは、「平和とはなにか」です。戦争があったから今が幸せなのか、戦争がない今は本当に幸せなのか、私はいまが本当に幸せとは思えなかったです。たしかにいまの日本は戦争をしていない、しかしまたちょっとしたことでいつ戦争が起こるかはわからない、戦争は、大人も子供も巻き込んだ国同士の喧嘩みたいなものだと思います、いつおこるか分からない、そんなことに怯えながら生活しているいまは、本当に幸せなのでしょうか、そのことを考えながらいました。わたしたちも「戦争は昔のこと」「自分たちには関係ない」そんな考えは捨てて、「戦争」「核」「原爆」すべてのことを自分ごとのように考えて生活していこうと思いました。(中学3年生)

慰霊式が執り行われました。いつもの式典とは違い、少し悲しい雰囲気が講堂中に漂っていました。戦争のことだけではなく、今身近にある平和についても、今楽しく学校に来れて、勉強できて、友達といつも通り「じゃあね、また明日。」なんて言える関係がどれだけ幸せなことだったのか知ることができました。どんなに小さなことでも慰霊学徒の方々を思うと、すごく嬉しく幸せだったのかと心が痛みました。今ある幸せは、私達のご先祖様たちが命を燃やし、作り上げてきました。その平和を絶対に壊してはいけない、そう思いました。(高校1年生)

私は西遠に入っていなかったら、戦争についての知識がなく、戦争について反対することができなかったと思います。だけど、西遠に入ったことによって戦争の知識をつけることができ、今は戦争は反対と胸を張って言い、意見を言うことができるようになったと思います。(高校2年生)

私は、去年の九州研修旅行から、今の本格的に志望校や自分のなりたい女性像などに向かって進んでいく中、平和について毎日考えるようになりました。九州研修旅行では、平和祈念像、原爆資料館、献鶴式、活水高校との交流をしてきました。その中で、私は平和委員として鶴のリースを作ったり平和宣言について考えたり、九州のことだけではなく、自分の住んでいる浜松にどういう被害があったのかなどをたくさん調べたりする機会がありました。現地でしか味わうことのできない、感覚や経験などをたくさんすることができました。写真で見るだけではわからないものや、原爆資料館の思ったよりもリアルで現実味のあるものは、本当に戦争はやってはいけないと深く考えさせるものでした。日本史の授業でも、第一次世界大戦、第二次世界大戦など、、過去に起こった戦争の起こったきっかけや、その戦争による被害、なども勉強しました。その影響で、身近にある問題だけではなく、外の世界にもっと目を向けてみるのも大事だなと改めて思いました。(高校3年生)

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ここまでブログを書いていましたら、NHKのニュースで富野由悠季監督のインタビューが流れました。戦争体験が根底にあってガンダムを描いてきた富野監督が、今、モビルスーツを超えてドローンで行われている実際の戦争に危機感を感じているというものでした。テレビでインタビューに答える富野監督が、昨年12月に西遠に来てくださり、生徒たちにお話してくださったことも、生徒たちの心に「平和」を考える土台の一つとなっていくのでしょう。

西遠の平和教育については、このブログでも様々な視点で紹介していますので、ぜひこちらからお読みください。
また、西遠の関係者が語る「戦争体験」も学園公式サイトに「戦後80年 西遠の記憶」(旧名 戦後70年 西遠の記憶)として掲載されています。