小さな白板2025 第46週

12月14日(日)の高校入試説明会を含めて、第46週の「白板」ラインナップをご紹介します。

昭和世代としては、「わかる!わかる!」とうなづいてしまう短歌です。テレビ消せないんですよね。でも、それこそが「実家」の懐かしさだったりするものです。テレビこそ娯楽と情報収集の中心だった時代、ある意味幸せだったと思います。今のテレビ、確かに昔に比べたら、とても低次元でつまらないです。

「旅」をキーワードにあれこれ短歌を探していた時、「朝日歌壇ライブラリ」で出会ったこの短歌。2009年12月28日朝日新聞に掲載されたものです。
私も、思い出を辿るより、新たに出会って作るたびにしたいな。まだまだ「追憶」の旅は早すぎます!

お仕事のためでしょうか、新たに住み始めた土地で迎える冬。踏切越しの商店街の夕暮れに、作者はどんな思いを抱いているのでしょうか。私は、新しい土地での風景の美に触れた作者の、「ここで生きていくぞ」という前向きな心を受け取りました。

正岡子規の野球好きは良く知られていますので、そんな彼の短歌を紹介しました。彼が今の野球界を知ったら、どんな顔をするのでしょう。ことにアメリカで活躍する大谷選手の存在に驚くことでしょうね。

11月に中学生の皆さんに紹介した本「はじめて出会う短歌100」から一首。「置きたまいし」という敬語表現は、さびしい白い指先が神のものだと示唆していますね。地球に富士を置いた存在に対する思い。それはそのまま富士山という山の唯一無二の美しさ、孤高の美を指し示しているのではないでしょうか。

この短歌は、2022年の「短歌研究」6月号に掲載されたものです。2022年2月24日にロシアが突如ウクライナに軍事侵攻しました。この年、ウクライナを詠む短歌が大変多かった中で、永田和宏さんのこの短歌は、2年後の私たちを想像したものでした。軍事侵攻から3年が過ぎて、まだ侵攻は続いています。ウクライナの人々はどんなにか疲弊しているでしょう。忘れたり飽きたりしてはいけないのです。私たちは平和を願い、しっかりと声を上げ続けなくては…。
明日22日には、今のウクライナに関する短歌を一つ載せようかなと考えています。
西遠は24日が「令和7年の授業おさめ」です。