全校講堂朝会

本日1時間目は、4月以来の「全校講堂朝会」でした。
6年生にとっては、在学中最後の講堂朝会となります。
せっかく6学年が集まった朝会ということで、
今日のテーマは、「富郎先生と校歌」としました。
最初に、学園の創立70周年の秋に配られた「黄金の鋲」から
「友情の人」のくだりを朗読しました。
「黄金の鋲」は、岡本富郎先生が書かれた本です。
70周年誌と共に配られました。
昭和51年のことです。
本の中には、富郎先生が尊敬する人々、苦労を共にされた人々が紹介され、
「友情」の巻頭言を集めて掲載した章もあり、紀行文も綴られ、
「岡本巌物語」も収録されています。
さて、「友情の人」に登場するのは、岡本富郎先生が旧制高校時代に出会い、生涯にわたって友情を深められた親友のお二人のお名前です。
富郎先生の年譜には、大正12年 第八高等学校卒業とあります。
富郎先生の親友のお二人とは、
お一人は、東大に進み、小説家・翻訳家として活躍された阿部知二さん(1903~1973)。
もうお一人は、京大に進み、詩人・歌人となった安部忠三さん(1902~1972)。
このお二人と富郎先生とは、第八高等学校時代、同じ寮で青春時代を謳歌した親友だったのでした。
そして、そのうちの安部忠三さんこそ、
のちに西遠の校歌の作詞をしてくださった方なのです。
富郎先生は、東大で経済学を学び、卒業後、療養生活を経て、岡本巌先生に乞われ、ここ西遠に着任しました。
富郎先生が着任して一ヶ月が過ぎた頃、
大阪から安部忠三さんが富郎先生を訪問、しばらく浜松に滞在しました。
昭和4年の晩春のことでした。
二人で夕暮れの天竜川の河畔を歩いていた時、
安部さんがさらさらと紙片に書き始めた詩、
それが西遠の現在の校歌「我らの母校」の詩だったのです。
富郎先生は、かねてから、「寮歌」のような歌が西遠に欲しいと思っていたのだそうです。
1人かみしめて歌う歌、友と一緒に歌える歌、孤独の中で思い出す歌・・・
そんな思いを誰よりも理解していた親友の安部さんが、
 をみなごの 心さやけし 空ゆくや 
 月の光は しらじらと 
 袖師が浦の 波の上に 
 うつり輝け 夜もすがら
と、詩をしたためてくれたのでした。
まさに、お二人の友情が誕生させた曲、それが西遠の校歌なのです。
「黄金の鋲」の文章を紹介し、校歌の誕生のお話をした後、
全校でこの校歌の5番までを群読しました。
講堂で、皆で声を合わせて詩を読むなんて、私にも初めての経験でした。
いつも歌うのは2番まで。
初めて3番から5番の詩を声に出して読んだ人も少なくないでしょう。
群読のあとは、きっと言葉の意味が分からないであろう下級生のために、
主に6年生に語彙や文法を教えてもらいながら、
校歌の歌詞を読み解きました。
ロマンチックな詩だと分かったでしょうか。
そして、最後に、村木先生にピアノで伴奏していただき、
校歌1番から5番を通して、みんなで歌いました。
生徒手帳とにらめっこしながら歌ったけれど、
皆が一生懸命歌ってくれるのがうれしかったです。
高校3年生には、こうして全校で校歌を歌い切ることが、最後の講堂朝会の思い出としてずっと心に残ってくれたらいいな・・・
そう思ったとたんに、実は、危うく落涙しそうになりました…。
自分自身が青春を甦らせてしまったようです。
皆が歌う声を聴きながら、自分も歌いながら、いろんな思いが駆け巡ったひとときでした。
作曲者の美和充さんのお話もしました。
そして、巌先生がどのようにして富郎先生と巡り合ったかというお話も。
生徒の皆さんは、縁というものの不思議さを感じたのではないでしょうか。

生徒の皆さん、
今日の講堂朝会はいかがでしたか?
西遠の校歌、今はどんなふうに思っていますか?
集会記録を楽しみに待っていますね。