突然の悲しい知らせに

11月29日、袋井のエコパでのロングディスタンスウォークを終えて学園に戻った私のもとに、東京から一本の電話が入りました。
橋本みつさんの突然のご逝去を知らせるお電話でした。
信じられない思いで、しばし呆然としました。
橋本さんは、動員学徒で命を落とされた鈴木さださんの妹さんです。
戦後70年にあたる一昨年の殉難学徒慰霊式に、お手紙を寄せてくださり、私が壇上で代読させていただきました。
そのお手紙に会場で涙した生徒や先生もいました。
橋本みつさんとの出会いは、もう少し前にさかのぼります。
2014年の秋のはじめの頃でしたか、
学園に「来年は戦後70周年ですが、西遠では特別な式典をする予定がありますか?私は殉難学徒の妹です」という橋本さんからのお電話が入ったのでした。
私のもとには、その日のお電話のメモがまだ残されています。
私は、翌年5月の慰霊式の日程が決まると、橋本さんにお電話をしました。
ぜひご参列ください、というお願いのお電話です。
受話器の向こうの橋本さんは、とてもお元気なお声で、エネルギッシュなおばあちゃまだなという印象でした。
そして、戦争を憎み、平和を心から愛するお気持ちが電話口からも伝わってきました。
2015年5月の慰霊式に向けて、それから何度もお電話とお手紙の往来がありました。
残念ながら、橋本さんは慰霊式の直前に体調を崩され、式典へのご参列はかなわなかったのですが、事前にお届けくださったスピーチの文章を、お手紙代読という形で私が読ませていただくことになったのでした。
その後、お元気になられた橋本さんは、お友達とご一緒に、浜松・西遠を訪ねてくださいました。
2015年7月のことでした。
初めてお会いしたのに、すぐに打ち解け、旧知のように仲良くさせていただきました。
そんな人間的な魅力をお持ちの橋本さんでした。
忘れられない光景があります。
この日、橋本さんはバッグに忍ばせてきたハーモニカを取り出し、殉難学徒慰霊の「愛の灯」像の前に立ち、静かにハーモニカを吹き始めたのでした。
お姉さまや、一緒に亡くなられた方々に届けとばかり、もの悲しい音色がそこに響きました。

橋本さんは、この日、戦争の記録を収めたDVDのセットを学園にご寄贈下さったばかりか、その後、お姉さまのご供養と西遠の未来のためにと、学園に大きなプレゼントをくださいました。
学園の正門・西門の門扉と「希望の灯」像の改修費用をご寄付くださったのです。
2015年11月に完成した門扉と像を橋本さんにお見せすることができました。


この日は、出会ったバレー部の生徒とも気さくにお話しくださり、「応援してるわよ!」とエールを送ってくださいました。
出会いをとても大切にされる橋本さんでした。
その後も、プライベートでお目にかかったり、メールやお電話で交流を図ることができました。
今年の初めには、新しいお店を開くので大忙しなの、というお電話をいただきました。
今年の慰霊式にご招待したところ、ちょうどご予定があるとのことで残念がっておられました。
8月には、私のブログをご覧くださって、感想をメールで下さいました。
突然の訃報を聞いて、あんなにお元気でエネルギッシュな橋本さんが亡くなるなんて、と信じられない思いでした。
その日の帰り、愛の灯像の前で、その写真を撮りました。

いろんな思い出が頭をよぎり、その場を離れられなくなってしまいました。
門扉を閉め、この扉も橋本さんが…と思うと、涙がこぼれました。
この夜のことを忘れないでいようと、門の写真もカメラに収めました。

出会ってからわずか3年という短いお時間ではありましたが、濃密なお付き合いをさせていただき、感謝致しております。
もっともっと続くお付き合いと思っておりましたのに、本当に残念です。
橋本さんのご葬儀は昨日行われました。
参列かなわず、浜松からご冥福をただただお祈り致しました。
いつかお別れにうかがいたいと思っております。
そして、橋本さんが導いてくださった新たなご縁を大切にしてまいりたいと思います。
生徒の皆さん、橋本さんの平和を愛する思いを、どうぞ受け止めてください。
門扉や希望の灯像には、橋本さんのお名前が記されています。

学園に集う若い人々の未来のために尽くしてくださった故橋本みつ様、本当にありがとうございました。
橋本みつさんのことはこのブログでも何度も紹介させていただきました。
みなさんもお読みくだされば幸いです。
  → 2015年7月  10月 11月
また、橋本さんの慰霊式へのお手紙は、公式ホームページにも掲載されていますので、こちらもぜひお読みくださいませ。