鏡の言葉が導くもの

西遠の鏡には、はっとさせられる格言が書かれています。その中でも、一番生徒たちの心に響くのは、東館1階から2階に向かう階段踊り場の鏡の言葉でしょう。


「できないのではない

  ただ自分は

   やろうとしないだけだ」

この言葉を座右の銘としている卒業生も少なくありません。

先日、この言葉をその出典とともに、高校生への講堂朝会で紹介しました。

この言葉が書かれているのは「黄金の鋲」の一節です。かつて岡本富郎先生が小児まひの治療施設を訪れたとき、転んでも転んでも起き上がって歩く練習をしようとする子に、思わず近寄って抱き起そうとした富郎先生が、看護師さんに叱られたというエピソードが紹介されています。

「ころびながらも一定の距離を自分の力で歩き終えて、ほほえむ子どもの微笑に、また愛情をこめて静かに見守る看護婦さんのきびしい態度に、私は心ひかれ、強い感動さえ覚えました。」と文章は続き、富郎先生はさらにこう訴えます。

私達は『あれができない、これは自分にはだめだ』と自分を惜しげもなく投げだして、あきらめることがあります。やる努力、やる熱意ももたず、自分を勝手に評価して劣等感を抱く、劣等感を抱く前に、倒れては起き起きては倒れる、あの苦しさにめげず努力している子供たちの姿を思い浮かべてください。『できないのではない。ただ自分は、やろうとしないだけだ』ということを反省して、自分をあきらめず、どこまでも、自分のなかに潜んでいる可能性を信じて、努力を重ねてください。」

       岡本富郎著「黄金の鋲」より「努力の美しさときびしさの尊さ」

この文章にある富郎先生の言葉が、東館の鏡の言葉になりました。

講堂朝会の生徒たちの感想にも、この言葉についての思いが多く綴られていました。

  • 学園内にある言葉で、今年に入って『あ、これは自分と同じようだな。』 と思う言葉が見つかりました。それは、東館の1階から2階にかけてある 鏡の言葉です。『できないではなく、やろうとしない』 昔から親からも自分でも思い続けてきた言葉を目にしたとき、 グッてきました。小学生の時から、何事にも挑戦をすることをせずに、 自分はできないと決めつけていました。 でも、この言葉を目にしたとき、『あぁ、そっか。やってないだけなんだ。』 と思い、今年から高校生になったので、今までのように決めつけずに、もっと自分に自信を持って生活していきたいなど思います。(高校1年生)
  • 今回校長先生が話された中で一番心に残ったのは、鏡に書かれた言葉についてのお話です。「出来ないのではない、ただ自分がやろうとしないだけだ」という言葉に、心を動かされました。私はよく「どうせ」や「だって」という言葉を使って言い訳をし、なんでも諦めてしまう癖があります。ですがそれはもともとある多くの可能性を自分から狭めていくことなんだ、と気づくことが出来ました。また、ネガティブで後ろ向きな発言が多いと運気が逃げていく、と聞いたことがあります。そのため、斜めに構えて何事も後ろ向きに考えるのではなく、鏡の言葉を信じて何事も積極的に取り組みたいです。(高校2年生)
  • 「できないのではない。ただ自分はやろうとしないだけだ。」という言葉は、今の私の教訓です。今年受験生である私は、この一年で何回もあきらめたくなる時が来るかもしれません。そんな時は、岡本富郎先生が治療施設で出会った子供の姿、教訓を思い出して、もう少し努力してみようと、自分を信じたいと思いました。(高校3年生)

学習面・受験勉強などはもちろん、部活動や行事などでも、「できない」という後ろ向きの姿勢では何事も得られません。人としての成長も果たせないでしょう。学園の精神的な基礎を築いてくださった富郎先生の教えである「鏡の言葉」に鼓舞され導かれて、西遠生たちが諦めない心を持ち、失敗にめげず、挑戦の心を持ち続け、実践していくことを大いに望みます。