講堂朝会で詩を読む

昨日の1時間目は、高校講堂朝会。
5月にちなんで、校歌も4番を歌いました。
  をとめ子の  こころ明るしながるるや
  五月の風の  さはやかに
  青葉ぞわたる  丘の上に
  歌へよろこべ  ほがらかに
校歌の作詞者は、安部 忠三氏。
岡本富郎先生の親友でした。
この校歌には、若き日の富郎先生の友情のエピソードが隠れています。
このことは2015年の講堂朝会でも紹介し、当ブログでも少し綴っています。
              →こちらをどうぞ。
さて、せっかく5月にちなんで校歌の4番を歌ったのですから、今回は少し詩についてお話したいなと思いました。
5月というと、真っ先に思い出す萩原朔太郎の「旅上」。
この詩を講堂に集った高校生全員で「群読」しました。
   旅上     萩原朔太郎
 ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん。
 汽車が山道をゆくとき
 みづいろの窓によりかかりて
 われひとりうれしきことをおもはむ
 五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに
今から100年以上前に書かれたこの詩の古びることのない魅力、
フランスを「ふらんす」と平仮名表記する、ちょっとおしゃれな表現、
朔太郎の作品にしてはロマンチックな作品です。
詩は声に出して読んでほしい、というのが私の願いです。
視覚的にまず味わい、耳からも味わう。
自分が声に出して読むとなると、
おのずと意味を考え、言葉の重さにも気が付くものです。
句読点の意味も考えるでしょう。
作者にどんどん近付くことができるのです。
このプリント「声を出して読もう」は、66回生の中学時代、国語の時間に毎日行っていたもの。

みんなで声を合わせて読んだ詩や短歌は、あの頃の彼女たちの心に残っているかしら。
朔太郎のこの詩を紹介しながら、
最前列のカロリーネに「フランスに行ったことがある?遠い?」と聞いたら、「車で5時間。」という答えが返ってきて、一同びっくり。
デンマークから車で5時間…ヨーロッパって地続きなのだなあ、と改めて思いました。
それでも、今は日本から飛行機で10数時間で行けるわけですから、
100年前の朔太郎の時代からすれば「あまりに遠し」の重みは全く違いますね。
明治時代、フランスはどんな遠さだったのだろう、と思いをはせます。
森鴎外はドイツへ、夏目漱石はイギリスへ、それぞれ留学しましたが、
それはどんなに大変だったことでしょう。
高3なら「舞姫」を読み、鴎外の時代の留学を想像できるでしょう。
漱石のロンドンでの苦悩は、「私の個人主義」に詳しく書かれています。
2作品共に、国語教員の私には忘れ得ぬ作品です。
高1の現代文の教科書から「私の個人主義」が消えてからは、プリント教材で教えた日々を思い出します。
卒業生の心の中に、漱石や鴎外が少しでもすみついていてくれるといいなあ、と思います。
さて、講堂朝会での詩の紹介は、朔太郎から光太郎へと進みました。
高村光太郎の詩で昨日私が紹介したのは、「雨にうたるるカテドラル」でした。
秋の詩ではありますが、この4月のパリのノートルダム大聖堂の火災のこともあり、
フランスつながりでこの詩を印刷し、配布することにしたのでした。
そして、若き日の詩人の海外での孤独にも触れました。
ニューヨーク→ロンドン→パリ。
東京芸術大学を卒業し、彫刻の勉強をしようと海外へと旅立った光太郎は、海外で人種差別の辛さにも直面し、芸術の壁にもぶち当たります。
そんな彼が、どんな思いで嵐吹く日のノートルダム大聖堂の前に立ったのだろう…
高校生の皆さんに想像してもらいながら、この詩を読みました。
長い詩なので、5分以上かかります。
皆、熱心にプリントの字句を追いながら、私の朗読を聞いてくれました。
リーディングスキルテストじゃないけれど、「あなた」が何を指し、数々の比喩が何を指すのか、初読の皆さんには難しかったことでしょう。
今回はあえてスクリーンにノートルダムの写真も光太郎の写真も出さずに読みました。
高校生の皆さんの想像力を育てたかったからです。
どんなことを考えながら高校生がこの詩に接したのか、とても興味深いです。
皆さんの感想は集会記録の提出を待つことにしましょう。
詩に触れる。
詩人の感性に触れる。
詩人の生涯に触れる。
詩人の生きた時代に思いをはせる。
現代文の教科書でも、詩は多くて3作ぐらいしか載りません。
問題集でも詩の問題は少ないですよね。
受験でも、詩はあまりお目にかからないですね。
高村光太郎は何度か私が話題に出しましたから、その名前や「智恵子抄」は記憶しているでしょうが、
萩原朔太郎という詩人のことは今まで全く知らなかった、という人もいることでしょう。
でも、詩の世界を、若い皆さんにはぜひ知っていてほしいと思います。
国語の授業みたいな講堂朝会だったかもしれませんが、詩や詩人の何かが高校生の心の奥深くに沈殿していってくれたらうれしいです。
興味を持った誰かが、朔太郎や光太郎に自ら触れていってくれたら、なお嬉しいオオバです。