「典雅」とは

1月に行われた「女性の生き方を考える弁論大会」高校の部において、この大会をご後援くださっている国際ソロプチミスト浜松の畑すみ子会長様が、「エレガントであれ」という言葉を生徒に掛けてくださいました。国際ソロプチミスト浜松には、西遠の卒業生や、お子さんが西遠卒という会員の方が大勢いらっしゃいます。80歳を超える会員の方々も「エレガント」すなわち「典雅」を大切な支えにされているということでした。

西遠の校訓である「典雅 荘重」。中学生には難解な言葉だからと岡本富郎先生がおっしゃり、「強く 正しく 美しく」を中学の校訓としています。富郎先生は、ご著書「黄金の鋲(こがねのびょう)」の中で、男子ならば「荘重 典雅」であろうけれど、女子校であるから 「典雅 荘重」 の順になっているのだということを紹介されています。

辞書を引くと、「典雅」とは「正しくととのっていて上品なさま」とあります。「正しく 美しく」の部分が「典雅」にあたるとも言えるでしょう。

今回、畑会長様が「典雅」を「エレガント」と分かりやすく言い換えてくださったことで、私たち西遠の目指す生徒像・人間像がまた一つ鮮明になったように思いました。「その言動・振る舞いはエレガントかどうか」は、私たちが「西遠生らしさ」を判定するひとつの指標ではないでしょうか。

今日は実力テスト。朝、正門で生徒を迎えながら、停止礼をする姿や、挨拶の際の動作、カバンの持ち方や歩き方など、改めて「エレガント」を基準に考えました。

制リュックの中学1年生が正門でぴたりと止まって、ゆっくりとお辞儀をする動作に、凛とした真面目さを感じます。また、制カバンを手に颯爽と歩く姿に、上級生のお姉さんらしいエレガントさを感じました。

落ち葉を掃いてくださっている中村先生に、登校した中学生が「おはようございます」と声を掛けました。その挨拶の声は、正門にいる私にもはっきりと届きました。ぺこりと頭を下げる動作も、挨拶と直結しています。言葉と声と動作がぴったり合っていて、朝の空気が爽やかになりました。テストの朝であれ、しっかりと挨拶や停止礼ができる生徒たちの姿を見て、嬉しくなります。

「エレガントであれ」は、西遠らしさを追求する大事な言葉だと思います。今年は、校則の一つである「自主規制」の改正年度となっており、中高の生活執行が「自主規制委員会」で検討を重ねた改正案が、教員側にも届きました。そこには「高校生の常識」という言葉もありました。改正案は、3月の生徒総会での承認を経て、来年度からの新しい校則となります。来年度から改正された自主規制を守り育てていくにあたり、「その言動・振る舞いはエレガントかどうか」を常に自らの言動の基準にして考えていってほしいと思います。

本館には、花瓶に河津桜が飾られています。講堂の壁に到達してしまった河津桜の枝を庭屋さんが切ってくださったものです。ピンクの蕾が開き、本館の中で河津桜を楽しむことができます。

こうした小さな花を生ける行為もまた、エレガントであると思います。

西遠生よ、エレガントであれ。ヒントは校内の至る所にあります。そしてたくさんの卒業生の先輩たちが、その姿を見せてくださっているのです。