冬薔薇からの思い出綴り

庭に一輪、バラが花開きました。
冬薔薇です。

冬薔薇、と書いて、「ふゆそうび」と読むことを知ったのは、大人になってからのことです。
ある新聞の夕刊一面のコラムに、この言葉が出ていたのでした。
初めて「そうび」と読んでみた私は、「バラ」という強い音と違って、「そうび」という読みに、優しい中にも凛とした気品を感じました。
冬の季語として俳句に詠まれる「冬薔薇(ふゆそうび)」。
その新聞コラムに紹介されていたのも、ある俳句でした。
コラムの筆者は、堀田力(つとむ)さん。
俳句は、堀田さんの亡くなられたお母様の俳句でした。
 死ぬために 生きるにあらず 冬薔薇
余命を宣告されたお母様は、悲しんだりうろたえたりすることなく、強く、そして前を向いて、潔く生き切りました。
お母様の凛とした決意がこの俳句にはあり、堀田さんの文章表現と共に、私の心に刻まれたのが「ふゆそうび」という言葉でした。
その頃の私は、新聞の中で気になったり、心に残ったりする記事を切り抜いていました。
堀田力さん、河合隼雄さん、吉田ルイ子さんは、いずれも私が新聞で出会って、そこから本を読むようになった文筆家の方々です。
さて、堀田さんにお話を戻しますと、
堀田さんのコラムには、職業が弁護士と書かれていましたが、
その後、私は彼がかつてロッキード事件の捜査を指揮した鬼検事であったことを知りました。
毅然としてひるむことなく巨悪に立ち向かったその姿勢は、お母様譲りなのでしょう。
そして、最高検察庁検事を退官後、弁護士となった堀田さんは、「さわやか福祉財団」を設立するなど、弱い人々を支える立場を貫いています。
それもまたお母様から受け継いだ生き方なのではないかと、私は勝手に思っています。
鬼の堀田から仏の堀田へ、今は福祉の道を凛として歩んでおられる堀田さんのますますのご活躍とご健康をお祈りしています。
・・・庭の冬薔薇からの思い出綴り、失礼致しました。
明日は学園でボランティア大集合による歳末大掃除です。