光太郎の詩集

今朝、NHK Eテレの「にほんごであそぼ」で高村光太郎の歌が流れました。
♪ ぼくのま~えに~みちはで~きる♪
詩「道程」の2行が歌になっています。
最初から見られなかったのですが、時々覗く「高村光太郎連翹忌運営委員会のblog」によると、今週5日間が光太郎特集のようです。
最初から見ていたら、「冬が来た」も見られたのに、残念!
Eテレの番組は、1週間おいてもう一回やるので、「冬が来た」は2月17日に見るとしましょう。
「にほんごであそぼ」は、以前から何度か話題にしていますが、私の大好きな番組の一つです。
日本の名詩、名歌、名言が毎日紹介され、
レギュラーで出ている子どもたちも、皆かわいくて、
時に知らない言葉や詩が出てくると、国語教員としては非常に焦り、・・・
この番組を見ている子どもたちは本当に豊かな日本語を身につけることができるだろうなあといつも思っています。
以前、NHKハート展から生まれた曲「愛と形 ~にほんごであそぼバージョン~」がその一か月の歌になった時には、毎朝すごく力をもらいました。
かつて、目の見えない天才ピアニスト少年 木下航志君のドキュメンタリーを見た私には、大人になった航志君とこの番組で再会できたことも、本当に嬉しかったです。
さて、高村光太郎は、私の大好きな詩人です。
「西遠生にすすめる本」にも、写真の2冊が入っています。

とは言っても、私の「智恵子抄」(写真奥)は、びりびりのボロボロです(笑)。
セロテープで補修したものの、表紙の上部はほぼ破れ、ちぎれてます。
この本は母から私に引き継がれた本です。

小学4年生の時に母から手渡されたこの一冊は、間違いなく私の宝物。
明日「にほんごであそぼ」で放送される詩「人に」は、発行された当初には違う題がつけられており、大学3年の近代詩の講義でもこのことが取り上げられたのを覚えています。
当初、この詩は、「――に」という題がつけられていたのですが、すぐに「人に」と改題されました。
そして、私の手元にあるこのボロボロな「智恵子抄」(昭和31年発行・昭和32年7月5日第13刷)には、

という、最初の題がつけられています。
今風に言うと、レアもの、超お宝もの、という感じでしょうか。
そんな文学的な価値もちょっと自慢ではあります。
が、何といっても、この本の価値は、
大人の詩の世界を初めて小学4年生で知り、
読めない漢字や意味の分からない表現はあるものの、
必死で読もうとした幼い自分の健気さや、
そこからずっと大事なものとして読み続け、
いつも自分のそばに置き続けた一冊である
というところにあります。
大学での卒業論文の原点でもありました。
もう一冊の「高村光太郎詩集」、
この本には、昭和56年とありますから、きっと大学時代に買ったものでしょう。
こちらも十分「古本」ですね(笑)。

表紙の彫刻「手」は、光太郎の代表的な作品です。
よく美術の教科書に載っていますよね。
光太郎は、詩人よりも彫刻家が第一の職業でした。
残念ながら、太平洋戦争中の東京への度重なる空襲で、光太郎の大きな彫刻作品はほとんどが消失してしまいました。
戦中・戦後を過ごした花巻太田村の山荘で、小さな彫刻をたくさん彼は作りました。
「鯰(なまず)」「蓮根」「文鳥」などなど。
十和田湖のほとりにある「乙女の像」は、光太郎が最後に智恵子を地上に残した、唯一の大きな作品と言われています。
Eテレから発展して彫刻話になってしまいました。
光太郎の世界を語り出すと、終わりません(笑)。
またいずれお話を続けたいと思います。