秋休みに観た一つの演劇が、心の奥底に澱(おり)のように溜まっています。
新宿で観劇した「劇団こまつ座第161回公演『兄おとうと』」という作品です。

井上ひさしさんの演劇に接する機会は今までにも何度かありましたが、この「兄おとうと」という作品は聞いたことがなく、娘から誘われた時にも、どんな作品だろうと一旦調べたりしたのでした。すると、主人公は吉野作造とその弟、そして二人の妻(こちらも実の姉妹)だと言います。吉野作造は知っていますが、彼が民本主義を唱えた、くらいのことしか私の知識はありません。実在の人物が主人公であること、娘の大好きな彩吹真央さんの舞台であること、横田栄司さんが主演を務めることなどなどを知って、「せっかくのチャンスだから、見てみよう」と秋休み最後の日の上京を決意したのでした。
横田栄司さんは、映画「シュアリー・サムデイ」(監督:小栗旬)で初めて知った役者さんです。舞台を中心に活躍している役者さんだったために存じ上げず、「シュアリー・サムデイ」では「この人、誰だろう?」状態でした。その後、「鎌倉殿の13人」で、ひげ面で人懐っこい和田義盛を演じ、悲劇的な最期のシーンで茶の間にその存在をとどろかせました。翌年、演劇「ジョン王」に出演するはずが体調不良により降板されてしまい、私は彼の舞台を見る機会を一回失ったのですが、ついに、今回、ナマの横田栄司さんを見られる機会に恵まれたというわけです。

「兄おとうと」は、いきなり出演者が舞台に勢ぞろいして歌を歌うプロローグから始まり、2列目で見る私には迫力満点のスタート。大真面目に演じる皆さんの所作やしぐさは笑いを誘うものばかりで、吉野作造の英雄譚などではない、ドタバタな日常が描かれます。井上ひさしワールド全開でした。しかし、そこには、兄弟の考え方の違いによる仲違いも描かれ、大正から昭和へと歩む時代の空気の変化も否応なく感じさせられるのです。関東大震災後のある日を描いた場面では、作造の妻が朝鮮人虐殺について語るシーンもあり、一気に緊張感が高まりました。すべての人が幸せになるべきだと考える作造と、すべては国のためにと考える官僚の弟は、時に絶縁状態となり、時に妻たちの策略によって鉢合わせし、距離を縮めていきます。家族が支え合い助け合う姿の中に、おにぎりのような小さな幸せが大事なのだと訴える登場人物たち。
私は、井上ひさしさんの次の言葉を思い出していました。
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと
井上ひさし
吉野作造の目指したものは、深く難しい。けれど、それをドタバタ喜劇の形で面白おかしく伝え、「三度のごはん きちんとたべて 火の用心 元気で生きよう きっとね」と歌いあげる彼の演劇作品は、観た人間に、今の世の中について考え続けさせる大きな力を持っていることに、私は今回気づかされたのでした。観終わって、娘と「ゆみこさん(彩吹さんの愛称)貫禄あったね」「きりやん(妹役 霧矢大夢さんの愛称)、ゆみこさんと同期なのに全然そんなこと感じさせなくて、妹そのものだったねえ」などと感慨深く話して、私は東京をあとにしたのですが、何だろう、胸の奥深くに沈んだ何かの存在をずっとモヤモヤ感じながらの岐路であり、そのモヤモヤは今もずっと続いているのです。
購入した「The座 132号」には、日本国憲法のことも書かれています。今、改憲が叫ばれている中で、井上ひさしさんが生前どんな言葉を残していたのかも、冊子に書かれています。今注目されているあの本のことも思い出しました。「井上ひさしの 子どもにつたえる日本国憲法」です。

この大事な平和への願いを、井上さんは「兄おとうと」という演劇に託したのだ。吉野作造を主人公に据えることで、憲法への想いを次の世代に遺したのだ。…いまさらながら、井上ひさしという人物の偉大さを思い知った気がしました。
彼の演劇でもう一つ「ムサシ」というものがあります。蜷川幸雄の演出で藤原竜也と小栗旬が武蔵と小次郎を演じるとあって、初演当時(2009年)、私は埼玉まではるばる見に行きました。ふざけた場面も織り込みながら、最終的には「命が大事であること」「むやみな殺生はやめよという訴え」がじわーっと胸に届いたのを覚えています。井上さんは「ムサシ」初演の翌年、亡くなりました。井上さんの「命」への想いを、今また17年ぶりに嚙み締めました。もうすぐ再演される「組曲虐殺」もまた、小林多喜二を扱った演劇ですが、今こそ見るべきではないか、と考えています。
演劇が世に問うもの――井上ひさしさんの作品を通して、心の奥のモヤモヤを私は大事に保存し続けたいと思っています。
演劇について、過去のブログもよろしければご覧ください。
2つのミュージカル (2018年10月)
「大地の子」を観劇して (2026年3月)

