年賀状で・・・

お正月の楽しみに、年賀状があります。
なかなか会えない皆様と、1年に一度の往来です。
ハガキという限られたスペースに書かれた、近況報告や1年ぶりの返事、気遣いや激励の言葉・・・。
短い文章の中に込められた濃密なエッセンスに出会う時、ハガキを通じて対話しているような気持ちになります。
愚痴も本音も飛び出します。
ハガキを手に、びっくりしたり吹き出したり・・・。
今年も元旦から、
ビックリ結婚報告をいただいて驚きつつもとても幸せな気持ちになったり、
「孫ができました」ニュースに「お、仲間が出来た~!」とほくそ笑んだりしておりました。
そして、「ブログ見てます」の一言もいただき、感謝感激、恐縮しきりのオオバです。
ありがとうございます。
ちゃんとした内容を書かないといけないなあ、と
年の初めから一人反省会をしておりました・・・。
読んでくださる方の存在を感じながらブログを更新できることは、とてもありがたいことだと思っております。
同級生には、「記憶力がすごすぎる」と書かれました(笑)。
西遠時代の記憶は、結構鮮明に覚えている方なのかもしれません。
第1中学館の1年竹組の教室は、まだ木の机と椅子で、
机には、ペンとインクつぼ用のくぼみがあったこと。
2年の道徳の授業で、担任のN先生が
「今日の道徳は、こういう結論になっちゃいけないのに―」
と困り果てていらしたこと。
(※どんな内容だったかは覚えていないのに、その一言だけ今も覚えているのです。教員になってから、あの時いったいどんな授業だったんだろう???とよく思い出しました。)
扇形校舎の東の端っこの教室がとても寒かったこと。
ロッカーも教室内にはなくて、廊下のロッカーまで行ったり来たりしたこと。
それでも、扇形校舎の教室の方が、箱形の教室より好きだったこと。
生活会館では、寮母先生に温かい言葉を掛けてもらえてうれしかったこと。
家庭寮の押し入れにお布団をうまく入れられなくてやり直しになったこと。
(※布団は羊羹を切ったように入れなくてはいけないのでした)
高校3年の時に、突然「防災頭巾」を用意しなくてはいけなくなって、母が手作りで作ってくれたこと。
(※東海地震が叫ばれた時でした。今も続く防災頭巾発祥の年です)
・・・「そうそう、そうだった!」と言ってくれる人がいるといいなあ、と思いながら、思い出すままにいくつか列記してみました。
西遠生時代の思い出です。
年末に帰省してきた娘が、久々に卒業アルバムを取り出してきた時にも、アルバムの写真を家族で見ながらいろいろ盛り上がりました。
「忘るるなかれ 若き日を」ですね。
ブログを読んでくださる皆様に感謝の気持ちを持ちながら、
今年も毎日更新していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします!