人権について考えた 3

「世界人権宣言」についての講堂朝会に対する感想文、高校3年生の感想を紹介して、この項を終わりたいと思います。
12歳からの多感な時期を西遠で過ごし、高校3年生たちは、どんなことを思っているでしょう。
人権について、身近な問題に寄せて考えたり、自分自身のこれまでの姿勢を省みたり、さすが最上級生は思索が深いと思いました。
また、優しい心根を持った生徒たちだと思いました。
下級生にもぜひ読んでほしい感想です。
☆昔から、「いじめ」に関する人権問題は絶えません。学校側が対処しても、学校や職場など人が大勢集まって行動するような環境では、ついつい対策の「漏れ」が出てきてしまいます。そして、その「漏れ」を埋めることこそ、「人権を守るにあたって、私たちができること」に繋がっていくのだと思います。下級生に、いじめに発展してしまうようなことを具体例を取り入れて分かりやすく教えたり、相談事を聞いてみたり、ふと自分のクラスを見渡してみるだとか、小さな行動を起こすだけで問題が解決することもあるので、私たち学生の力も欠かせないのです。(高校3年)
☆私が身近にある人権に関わる問題として一番に思いついたのは「いじめ」です。学校という学生にとっての大きなコミュニティの中での差別、これがいじめだと思います。いじめの大きい原因は、自分と違うところ、つまり個性を尊重できないこと、そして、自分の意見を押し殺し、周りに同調してしまうことだと思います。性別、肌の色、目の色、言語など、見聞きできる違いについては受け入れられても、相手の意見・思想など、自分と違う考えなどを差別的に考える人が多いように感じます。相手のことを理解しようとせず、自分の物差しだけで物事を考えてしまうのはもったいないなと思います。西遠では、相互学習やLHRなどで自分の意見と相手の意見との違いを肯定的に捉えるという力が養われているため、そういった差別はないと思います。しかし、周りの人の意見に合わせてしまうということはまだたくさんあると思います。クラスで安易に同調する雰囲気を作らないのが大事だと思います。意見の違う相手の意見を理解しようと、肯定的に考える、そういった雰囲気をみんなで作る、それが学校の中の差別をなくしていくことになると思います。(高校3年)

二人は、それぞれ「いじめ」という深刻な問題について考えてくれました。
学生の力、可能性、そして西遠のプログラムがもたらす効果など、真剣に考えた後が分かります。
そして、課題も出ました。
「周りの人の意見に合わせてしまうこと」
これは、今の若者にとても多い傾向だと思いますが、誰かの意見に深く考えもせず安易に同調することを戒めた18歳の決意を嬉しく思います。
☆講堂朝会で、スライドや動画で見た人権宣言や演説には、自由、差別、権利、虐待などの言葉が多く出てきました。この言葉は、ニュースや新聞でよく見かけますが、自分が発したり、まして大声で要求するなどしたことはありません。自由や権利を当り前のように持って、差別をたいして感じずに生きている自分が、どれほど恵まれていて幸せであるか、いろんな感情が出てきます。つい先日見た「演劇教室」や、5月の慰霊式でも、同じように感じました。そして、ただ感じただけで終わってしまった自分に怒りを感じます。慰霊式で作文を読んだにもかかわらず何か平和について活動したわけではない。演劇教室でも、リアルな戦時中の様子を見て、ただ他人事のように泣いていただけで、、特に何もしませんでした、もう少しで社会に出ていく人間が、感じるだけで何も行動を起こせないということは非常に情けないことです。作文によくある「自分にできることを一つずつやっていきたいと思います」というありきたりなセリフのように、口先だけの社会人にはなりたくありません。もう少しよく考えていく必要が私にはありそうです。では、具体的に何をするか。まずは、今日知ったことを今日の夕食時に家族に話そうと思います。それから、受験中ですので、勉強をして、寝る前に音楽を聴くルーティンを今日はやめて、法務省のHPを見ます。理解力のない私でもわかるように、谷川さんの文を読んで寝るようにします。きっと今日の夢には、ネルソン・マンデラさんやマララさんが出てくることでしょう。明日は休日です。地理の勉強をするときには、紛争や難民の単元を隅まで読んで覚えます。時事問題の分野も完璧にします。ほんの少しのことですが、知ると知らないでは大違いですし、常識としてしっかり知っていなくてはいけないことです。情けない社会人ではなく、普通の社会人への小さな一歩として、人権についてしっかり考えます。(高校3年)
彼女の文章は、講堂朝会直後に書かれたものでしょう。
受験生だから、と言いつつ、自身の今夜から明日にかけてのスケジュールに「人権問題」をしっかり入れるという決意文を読んで、くすっと笑いながら、こういうのが真の学習だなと思いました。
勉強を大学に入るための手段として小さくとらえるのではなく、自分の将来や、世界と自分を結びつけたものとして考えられるって、素敵な受験生です。
きっと「情けない社会人」「口先だけの社会人」には彼女はならないだろうと思います。
下級生の皆さんが、高校3年生のこうした感想を読んで、自分の今やこれからを考える契機にしてくれたら嬉しいです。
最後に、この講堂朝会が高校3年生にとって最後の講堂朝会だったのですが、こんな感想を書いてくれた高3生がいました。
☆高校3年生になり、講堂朝会での話は、受験勉強で常に勉強のことでいっぱいの私の頭の中に様々な影響を与えていました。1時間の中で話される話題に対して共感したり、それは自分は感じないなと思ったり、世界・日本の情勢を知ったり、現状に危機感を持ったり、学校について再認識したり、と少し大人になった視点で、この1年間話を聞けたなと思いました。そして、6年間同じ空間で話を聞いていると、自分の聞く姿勢の成長も感じられました。12歳から18歳の6年間、全校、中高別、学年で集まった講堂は、私の大切な学び舎です。そこでの話を忘れず、自分の未来に生かしていきたいです。5年間ありがとうございました。
こちらこそありがとう。
肇先生から校長職を受け継ぎ、高校3年生の皆さんには中2からの5年間、壇上からお話させてもらいました。
「5年間ありがとうございました」の一行に涙が出ました。

「講堂は、私の大切な学び舎です」の言葉を、私もまた重く胸に刻みました。