人権について考えた 2

「世界人権宣言」から昨年12月10日で70年がたちました。
日本で幸せのうちに生きる10代の生徒たちに、
「人権」というものはどう意識されたのでしょうか。
12月15日の全校講堂朝会後に寄せられた生徒の感想文を、今日もお届けします。
☆今回の講堂朝会を受けて、人権についてもっと知りたいと思うようになりました。インターネットを利用して、アムネスティインターナショナルのHPを検索しました。改めて、アムネスティ日本と谷川俊太郎さんが条文訳をした「世界人権宣言」条文を、30個すべて読んでみました。全て当たり前だよと思ってしまいましたが、私の中や日本では当たり前だと思ってしまうことでも、世界に目を向けながら読んでいると、もしかしたら当たり前ではないことがあるのかもしれないと思いました。特に私の胸にグサッと刺さったのは、「第28条この宣言がめざす社会 この宣言が口先だけで終わらないような社会を作ろうとする権利もまた、私達のものです」という条文です。2018年は世界人権宣言が採択されてから70年という記念すべき年、今後の世界の平和に向けてもっと広めなければいけないと思いました。2015年、終戦から70年という時は、様々なテレビ、新聞など多くのメディアで取り上げられていましたが、今年「世界人権宣言が採択されて70年が経ちました」というニュースは見ませんでした。この「世界人権宣言」を少しでも多くの人に、少しでも多くの条文、少しでもわかりやすく、知ってもらうことで、小さな紛争がなくなったり、少し激しさが収まったり…となると私は信じています。(中学3年)
実際に30の条文を谷川俊太郎さんとアムネスティ日本の皆さんによる訳で読んだこの生徒は、自分にとっての「当たり前」が世界に目を向けると当たり前ではないかもしれないということに気づきました。
そして、戦争が終わって70年というニュースが流れた3年前に比べて、世界人権宣言が採択されて70年というニュースが昨年末に流れなかったことにも気づきました。
こうした気づきが、彼女の未来へ向けた第1歩なのだと思います。
☆差別を受けている人は簡単には声は挙げられないと思います。差別をなくすため、人権というものの存在を知らせるため、周りが動かなくてはならないのだと感じました。ノーベル平和賞を受賞したムラドさんの講演を全文読んだのですが、「悲劇から目を背けることは共謀していることと同じです」「非常に発達した通信技術の使える現代において、誰ひとりとして『知らなかった』とは言えません」という言葉が印象に残りました。遠い国のできごとだから、なんて甘い考えではいけないとハッとさせられました。今、この瞬間にも、同じ地球のどこかでは誰かが苦しんでいて、その中には私と同じくらい、もしくは自分以下の年の子どもだって決して少なくはありません。自分には関係ないことだと、このことについて考えるのを放棄してしまったら、その時点で、私も人権侵害に加担することになってしまうと思いました。(高校2年)
ムラドさんの講演全文を読んだ時、私もまた「悲劇から目を背けることは共謀していることと同じです」「非常に発達した通信技術の使える現代において、誰ひとりとして『知らなかった』とは言えません」という2つの言葉が心に突き刺さりました。
無関心は罪――改めてそう思いました。
ですから、この高2生徒の「自分には関係ないことだと、このことについて考えるのを放棄してしまったら、その時点で、私も人権侵害に加担することになってしまう」と書いた言葉もまた、その重みを感じながら心に刻みました。

中高生の真っ直ぐな心が感じられる感想文をたくさん読み、大人たちが何をすべきかという大きな問いを突き付けられているように思います。