小学校時代の恩師のこと

小学校時代の友人からのメールで、小学校5・6年の担任だった杉山善秋先生のご逝去を知り、悲しみに沈んでいます。ご病気で長くご入院され、1回だけお見舞いに伺えたのですが、そのあとはコロナ禍で面会も叶わないまま、お別れとなってしまいました。

杉山先生は、「やせきゅうり」というあだ名を持っていました。髪はふさふさ、眼鏡の下の温厚なまなざし、ユーモアも抜群の先生でした。でも叱る時にはいつも本気で叱ってくださいました。杉山先生のもと、クラスは本当に団結していました。音楽会では、先生の指揮(音楽はきっと苦手でいらしたと思います)がおぼつかなくて、先生も私たちも苦笑いしながら「牧場の子牛」を歌いました。

杉山先生との出会いがなかったら、私が国語の教師になることはなかったと思います。杉山先生のクラスで、国語の研究授業が何度もありました。ノートの取り方や、議論の仕方、作文の書き方、発表や司会進行の技術など、2年の間にたくさん教わりました。毎日、詩やエッセイを書く時間もありました。毎月のように劇大会をやっていました。劇の脚本を書いたり、新聞係で楽しくクラス新聞を書いたり、オリジナルのクラスの歌を作ったり、本当にいろんなことが体験できました。そんな中、クラス通信をT君と任されたり、本の修繕の講習に参加したり、話し方大会に出場したりしたことは、確実に今の私の財産になっています。

後年、教員になった私が附属浜松小学校の研究授業を見学に行った時、杉山先生と再会し、嬉しくておしゃべりしていたら、あとで大学時代の先輩に「おい!何親しげにしゃべっているんだ。すごく偉い先生なんだぞ!」と咎められたのも、懐かしい笑い話です。

私たちが30代後半からずっと続いているクラス同窓会にも、毎年参加してくださった杉山先生。先生と再会し、昔にかえって騒ぐひとときが、とてもとても楽しかったです。コロナで還暦の同窓会もできないまま、杉山先生のご参加を仰ぐことができなくなってしまいました。

けれど、今、素晴らしい先生と出会えた幸せを、改めてかみしめています。
杉山先生、本当にありがとうございました。
先生の教えを絶対に忘れません。