朗読の日に寄せて(一日遅れ)

昨日6月19日は、朗読の日でもあったことをご存知でしょうか。
一日遅れですが、朗読の日に寄せて、生徒の感想文などを紹介したいと思います。
5月25日、もう一か月前ですが、私は、高校生への講堂朝会で二篇の「詩」を扱いました。
萩原朔太郎の「旅上」、高村光太郎の「雨にうたるるカテドラル」です。
「旅上」はみんなで群読しました。
「雨にうたるるカテドラル」は、あまりに長い詩なので、延々と自分で打った詩の本文を配って、高校生には目で追ってもらいながら、私がちょっとつっかえながら朗読しました。
その日の生徒の皆さんの感想が集会記録に書かれて集まりました。
「詩を読むなんて久しぶりです」「たまには詩集を読んでみようかな」といった感想がありました。
自分が好きな詩や、詩の思い出を綴ってくれた人もいました。
また、「『雨にうたるるカテドラル』は正直難しかったです」というような、詩の中身についての感想もありました。
一つ一つの感想にコメントを書き入れるのは、とても楽しい作業でした。
今日は、高校3年生の文章をいくつかご紹介しようと思います。
さすが最上級生、詩に対する思いや解釈、そして今日までの生き方など、本当に読み応えのある内容だったのです。
下級生の疑問への答えにもなっているものもあります。
ほんの一部ですが、どうぞお読みください。
☆国語の授業でもあまり詩を勉強しないので、今回の講堂朝会で久しぶりに詩に触れることができて、とても良かったです。今まで授業で習った詩しか見たり読んだりしたことがなかったので、詩集を買って、まずは目で読んで、その後に声を出して詩を味わいたいと思います。声に出して詩を読むことで、イメージしていた言葉とは違うな、とか、こう読めばいいんだ、ということをいつも以上に感じ、これからは詩を声に出していこうと思いました。
久しぶりに詩に触れて良かった、という感想、私も嬉しかったです。
朗読することで、その詩のリアルな感じに一歩近づける気がします。
☆初めて買った詩集が、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」という小学生向けの詩集で、小学生時代の私は本当にその詩集だけは何回も読んでいました。当時「にほんごであそぼ」にハマっており、きっかけはその番組でこの詩が取り上げられたからなのですが、まだ低学年だった私は、一部の詩以外内容を深く理解できていなかったです。でも、口に出した時の語感や音が好きで、今思えばあの頃にはすでに詩の魅力にひかれていたのかな、とお話を聞いていて感じました。
「にほんごであそぼ」で育った生徒がここにもいたんだ、と嬉しくなりました。
あの番組で、詩の魅力を知り、詩の世界への一歩を踏み出していたんですね。
☆詩を大勢で朗読するのは、とても久しぶりでした。私は詩を朗読するのが好きです。声を出して読むと、ただ目で読むよりも詩が生きてくるからです。私が最近朗読したのは、「二十億光年の孤独」(谷川俊太郎)です。国語の授業で読みました。とても短い詩だけれども、何か考えさせられるものがありました。私は宇宙人は絶対いると信じているので、この詩を読んでもう一度宇宙人にあってみたいという気持ちを再確認しました。その宇宙人に会いたい気持ちは、さびしい気持ちがあるからかもしれないと、この詩を読んで思いました。
俊太郎さん、「生きる」に比べ、この「二十億光年の孤独」の何と難解なことか。
でも、授業でみんなで考えていくと、この意味不明の内容が紐解けるんですよね。
詩の授業は、そこが醍醐味です。
☆「旅上」の詩からは、鮮やかな風景を想像することができます。「みづいろの窓によりかかりて」や「うら若葉のもえいづる心まかせに」から、爽やかな色が伝わってきて、読んでいると心の中に五月の風が吹き渡っているような気がします。その爽やかな風景の中で、フランスへの憧れを静かに想像して思いをはせている作者の姿が感じられます。
朔太郎の「旅上」の鑑賞文として、短いけれど的確な文章になっていて、感心しました。
純粋な心、豊かな想像力、それを表現する語彙力…下級生にはぜひお手本にしてほしいです。
☆「雨にうたるるカテドラル」では、筆者がまるでノートルダム大聖堂に恋しているかのように感じられました。「ふきつのるあめかぜ」はノートルダムと筆者を阻むもののようで、ノートルダムに自分の存在を知ってほしい筆者の思いが、恋文のように、この詩になったように感じられました。
これを読んだ時、「そう!恋!そうなの!」と膝を打ちました。
「恋文」という発想、私は講堂でそんなヒントは何も言っていなかったのに、ここまで言い当てた高3生の感性はすごいです。
脱帽です。
そして、最後に、朗読の技術について触れてくれた人もいました。
☆私は、詩を読むうえで、楽しむためには、朗読の仕方も大切なのだと学びました。私は小さい頃から、NHKのテレビで放送された絵本の朗読や落語が大好きでしたし、自分で絵本を読み聞かせるように朗読していました。抑揚をつけたり、登場人物ごとに声を変えてみたり、思いを込めて読むことが大好きです。国語で大杉先生の朗読を聞いていて、すらすらとなめらかで素晴らしいなと思います。今回の先生の朗読を聞いていても、まねできないと感じました。これは国語の先生独特なのでしょうか。私もそのように読めるように、思いを込めたいです。
彼女自身が抑揚や登場人物ごとの声色を考えて幼い頃から朗読の工夫を重ねてきたことに、まず感心しました。
テレビの朗読番組や落語、いいですよねー。
私も大好きでした。
私の朗読を「真似できない」と書いてくれたのは、とてもこそばゆい(すごく嬉しい!)ですが、
彼女は、朗読の世界に既に足を踏み入れています。
きっと素晴らしい読み手になるでしょう。
朗読は、発音や速度に気を付けて正しく読むこと、そして間合いや抑揚で分かりやすくアレンジすること、それらが大切ではありますが、原点はやはり「心」です。
心を込めて、聴いている人に寄り添って読めば、きっと朗読は成功です。
もちろん、自分に向けて、自分が理解できるように読んでみることも、出発点だと思います。
詩人が自身の詩を朗読しているテープに出会うことがあります。
すでに亡くなった詩人の肉声に触れる感動もありますが、
朴訥としたその朗読は、決して俳優の方々の抑揚あふれる朗読ではないのに、なぜか泣けるほどに素晴らしいのです。
やはり、詩に込める感情が、ご本人だからこその熱量になるのでしょう。
朗読の世界に、皆さんも足を踏み入れてみませんか。
声を出して読むことを、少しだけ取り入れてみてください。
新しい世界が広がると思います。
朗読の日19日の0時の月。

19日の22時頃、再び見た月は、ちょっと赤いお月さまでした。

もう欠け始めているのがよく分かりますね。
昨夜は立待月でした。
お月さまを見上げながら、萩原朔太郎の「月に吠える」の月はどんな月だったのかな、と思った夜更けでした。