広島原爆の日に

広島に原爆が投下されて今日で74年です。

2019年8月6日、西遠の「希望の灯」の像が青空に映えていました。
パンドラの箱をモチーフにしたこの像、
台座には
『人間はどんな不幸の中でも、よくさがせば幸福はひそんでいる』
と刻まれています。
学園の「愛の灯」像と共に、
平和や幸せを願う、大事な像です。
今日は、8:15を家で迎え、家族と共に黙祷しました。
広島原爆の日。
いつも8時から始まる朝ドラが、この日はいつも広島の平和式典の中継の後に放送されます。
今年は、なぜだか地元のサイレンが鳴りませんでした。
テレビの中の平和の鐘の音を聞きながら目を閉じました。
広島市長の平和宣言では、「寛容」「不寛容」の言葉が心に残りました。
自国の利益を優先して不寛容が進む世界情勢。
広島が寛容を求める声明を出さねばならない状況。
そして、今年は広島市も、日本政府に対し、核兵器禁止条約の署名と批准を求めました。
サーロー節子さんはどんな気持ちでこの平和宣言を聞いただろう、とトロントで核廃絶への声を上げ続けている彼女のことを想いました。

静思堂の南には、今、ひめりんごが青い実をつけています。
74年前、この場所には何があったかご存知ですか?
校庭は、畑になっていました。
動員学徒のお一人だった吉田さんは、当時のことをこう語られています。
吉田:昭和18年に2年生になって、何月ごろでしたか、ある時、運動場にみんな並んだ時に、内田先生が「ネクタイを変えなければいけない」と説明してくださってね、昔は制服に黒いネクタイをしていたんですが、その時にネクタイが廃止になって、現在のボタン式(※くるみボタン)になったんです。
戦争がだんだん激しくなって食糧に困るという時代になったので、学校でも修身堂(今の静思堂)の南側を耕して、サツマイモの畑を作りましてね。私は母が百姓してるのを手伝っていたもんだから、高崎先生という男の先生が「鍬(くわ)取りが上手だ」と褒めてくださいました。

(西遠公式HP 学徒動員の戦争体験 より抜粋)

サツマイモの畑を耕し、空襲警報におびえながら工場へ働きに行っていたのが、戦時中の西遠生でした。
今、南館では毎日登校学習をしている高3生がたくさんいます。
彼女たちが思い切り勉強できる環境も、74年前の西遠生たちには考えられないことだったでしょう。

南館の前では、放水されるシャワーが、涼しさを醸し出しながら、芝生の緑に降り注いでいました。
石の狛犬さんも、シャワーを喜んでいるかのよう。
愛おしくなるような、平和な一コマです。
平和な世の中をずっと維持していくために、私達はもっともっと努力をしていかなくてはいけないんじゃないだろうか。
不寛容の空気を、寛容な世の中に変えていくために、自分にできることは何なのだろう…。
これは重い宿題です。