1925年にNHKのラジオ放送が始まって、今年で放送100年。節目の年、物心ついた時からテレビとともにあった私の思い出をいくつか…。
ディズニーも、ビートルズも、
幼い頃から茶の間のテレビのチャンネル権は父にありました。だから民放番組を好きなだけ見る、なんてことは夢のまた夢。ただ、アニメーションはいくつかOKでしたので、「鉄腕アトム」「ポパイ」「トムとジェリー」、そして金曜夜のディズニー番組は楽しい楽しい時間でした。ディズニーランドもまだ日本にない(のちに日本にディズニーランドができるなんて誰が想像したでしょうか?)時代、絵本とテレビが私にとってのディズニーでした。
小学生のころ始まった番組「ステージ101」は、私にたくさんの音楽ジャンルを教えてくれました。黒柳徹子さんや関口宏さん、マイク真木さんなどが歴代の司会者で、オリジナルソング「涙をこえて」「人生すばらしきドラマ」「怪獣のバラード」などを、ヤング101という若者たちがエネルギッシュに歌い踊る番組でした。この番組で、知らないうちに覚えたのが、ビートルズのナンバーでした。ビートルズを見たことがないのに、この番組で「ヘイジュード」も「レットイットビー」も覚えてしまっていたのです。私にとって様々な音楽の入り口がこの番組だったのでした。
大河ドラマと私
日曜夜8時は、幼い頃から「大河ドラマを黙って見る」という、ある意味苦痛な時間でした。おしゃべりすると父に叱られました。怖いシーンは戸の向こう側に隠れました。
最初の記憶は、矢をいっぱい浴びて絶命した弁慶(緒形拳さん)です。1966年「源義経」でした。
初めて年表を意識したのは「新平家物語」(1972年)でした。教室の後ろに掲げられた年表と大河ドラマとが初めて結びついたのでした。
今年亡くなった仲代達矢さんの平清盛は、精悍な若者の頃から最期のシーンまで迫力に圧倒されました。

歴史上の人物に初めてほれ込んだのもこの大河です。若くして亡くなった平重盛(演じたのは原田大二郎さん)に惹かれました。
中学に入って、西遠の友達とも、バスで会う他校の幼馴染とも、月曜の朝は「大河ドラマ」の話題で盛り上がりました。あの頃の大河ドラマ視聴率は、今と違って10代でもかなり高かったのではないでしょうか。ビデオなどなかった時代でしたから、生で見るしかないドラマ。土曜日の午後1時25分から始まる再放送に間に合うよう、友達と必死で帰宅した記憶もあります。特に「黄金の日日」(1978年)は、高3の教室でも話題の中心でした。石川五右衛門(根津甚八さん)の非業の最期が放送された翌日は、なんと「秋の遠足」の日で、秋葉山の往復の間もこのドラマの話で盛り上がりました。
大人になってから、その素晴らしさに驚いた大河ドラマもあります。「樅の木は残った」(1970年)でした。沈着冷静な原田甲斐(平幹二朗
先日、何人かの中3の生徒と話をした時、「歴史は暗記が大変だから苦手」という生徒が少なからずいましたが、ドラマで楽しみながら歴史を学べばいいのになあと残念に思います。大河ドラマで登場人物として知った歴史上の人物や事件は、ただの暗記の域から出て、歴史の授業の最中にもドキドキワクワクするのです。今年の「べらぼう」も、田沼意次から松平定信の時代の文化史を知ることができ、国語科としてもとても興味深かったです。
大河ドラマを見る生徒が増えるといいな、そんな生徒と感想を語り合いたいな、と思うオオバです。
テレビが映し出すもの
昨今のテレビは、視聴率重視で、「下品な笑い」「人を馬鹿にした笑い」が多いように思います。民放では、クイズの答えがなかなか明かされずにCMが挟まったり、NHKでもさっさと答えを言えば45分も必要ないのにタレントをたくさん投入して盛り上げよう盛り上げようとする風潮もあって、くだらないなあと思うこともしばしばです。テレビのレベルは、視聴者のレベルでもあります。もっと私たち視聴者が賢く利口にならなくては、と思うこともあります。テレビが映し出すものは、社会そのものなのですから。

