答礼人形「富士山三保子」里帰り展

みなさんは、答礼人形「富士山三保子」を知っていますか?
昭和2年、アメリカから贈られた青い目の人形へのお礼として、日本から贈られた日本人形のうちの一体。
静岡県出身の女の子ということで、当時の県知事さんから「富士山三保子」と名付けられて海を渡りました。
日米の友好のあかしとして交換された人形たちでしたが、
その後、日本とアメリカは太平洋戦争で敵となり、
人形たちにも過酷な運命が待ち受けていました。
敵国のものとして処分されたものが大半だった中で、
それでも、心ある人々によって大事に隠され、
平和になるまでそっと保管されていた人形もあったのです。
アメリカのカンザスシティ博物館に大切に保管されていたのが、「富士山三保子」という名の人形だったことが、昨年判明したのだそうです。
そこで、「答礼人形『富士山三保子』の里帰りを実現させる会」が組織され、
2月、静岡市のグランシップで「里帰り記念イベント」が行われました。
そして、この日本人形が県内を巡回することになり、
浜松では、3月24日~28日の5日間、遠鉄百貨店の8階催事場にて
「里帰り展」が行われることになりました。

この展示会実現のために奔走されたのが、
「答礼人形『富士山三保子』の里帰りを実現させる会実行委員会」会長の山口祐子さんです。
浜松での里帰り展を前に、西遠の高校生にもぜひこの里帰り展に協力を!というご提案をいただき、われらが高校演劇部12名が協力を申し出ました。
市立高校、海の星高校の皆さんと共に、里帰り展会場で説明役を務めます。
今日は、会長の山口さんがご来校くださいまして、
この「富士山三保子」が里帰りするまでのことはもちろん、
青い目の人形がどういう経緯で贈られたのか、
答礼人形はどうやって海を渡ったのか、
戦争の時代に人形たちはどうなったのか、などを
演劇部の高校生たちに詳しく説明してくださったのでした。


青い目の人形を日本に贈る運動を始めたのは、
日本に長く住んでいたアメリカ人宣教師さんでした。
彼の呼びかけで1万体以上も集まった人形は、
パスポートをもって日本に渡り、
渋沢栄一氏が中心になって、日本各地の学校や幼稚園に届けられ、
日本のひな祭りにも飾られたのだそうです。
昭和2年、日本の移民がアメリカで差別を受けているころのことでした。
不当な差別に心を痛めたアメリカ人たちが日本へのプレゼントとして人形を送ってくれたのです。
日本からもぜひお礼のお人形を贈りたい、そういう気持ちが「答礼人形」となりました。
そして、戦争をくぐり抜けて、助かったお人形さんたち。
アメリカのカンザスシティの富士山三保子だけでなく、
静岡県でも今5体の青い目の人形が、無事戦禍をくぐり抜けて大切にされています。
今回の「里帰り展」では、アメリカからのお人形も一緒に展示されるそうです。
日米の交流から80年以上。
この交流を未来へと語り継いでいくのが、高校生たちの若い力。

山口さんから愛情と熱意のこもった説明をいただいた演劇部の生徒たちは、
決意も新たに、24日からの説明役を務めます。
皆様も、どうぞ、24日~28日の間に、
ぜひ「富士山三保子」ちゃんに逢いにいらしてください。
そして、西遠の制服を着ている説明役たちにもあたたかいお声を掛けてくださいませ。