「雨ニモマケズ」を声を出して読む

昨日の講堂朝会、全校で「雨ニモマケズ」を声を出して読みました。
宮澤賢治が手帳に遺した言葉は、彼が病気と闘いながら「こう生きたい」と強く願っていた姿のように思われます。
この詩を全校で読めたらいいな、とここ数日考えていました。
皆が声を出してくれるだろうか、声を合わせることができるだろうか、と少し心配でした。
しかも、役員認証式や表彰式の後です。
時間があるかな、というのも不安材料でした。
熊本の地震のこともお話したかったし、
HR展のテーマとキーワードも発表することになっていました。
短い時間で、この長い詩を果たして読めるのか…?
「声を出して読もう」は、中学の国語の時間に私が行っていた活動です。
生徒に詩や短歌を味わってほしいという思いと、
声を出すことで授業のウォーミングアップをしたいという思いから、
66回生が中学の時に始めました。
有名な詩や短歌、俳句。
小説の書き出しや、素敵な一節も読みました。
長い詩にも挑戦したり、孔子の言葉を読んだり、「奥の細道」の季節をたどったり、
「星の王子さま」も読みましたね。
「森のゴリラ」という詩も読みました。
とにかくいろいろなものを声を合わせて読んでみました。
間を取ること、抑揚をつけて読むこと、情景を想像すること…
最初はバラバラな声が、だんだんとリズムに乗り、
素敵な詩の群読となっていくのが、私にも、そして教室の皆にもわかって、
とても楽しいひとときでした。
どれだけ彼女たちの心にその朗読タイムが残っているのかは分かりませんが、
声を出して読む楽しさが残っていてくれるといいなあと思っています。
そして、一つぐらいは、「これ、皆で読んだな」ということを思い出せる詩なり俳句なりがあったら、私はとっても幸せなのですが…、
66回生の皆さん、これを読んでいて、「ああ、覚えてる!」というのがあったら、教えてくださいね。
さて、講堂朝会での「雨ニモマケズ」の群読、
生徒だけでなく、先生方も巻き込んでの無謀な(?)、いえいえ、壮大なチャレンジとなりました。
読めない字がないように、一回私が読んで、皆がメモを取ったあと、
行ごとに担当者を決めました。
「22行目は女性の先生!、23行目は男性の先生!」と発表した時の、生徒の皆さんの二ヤリとした顔!
ちょっとだけ時間を取って、皆さんに自分が読む所を練習してもらいました。
そして、本番。
ちょっと声がそろわなかった所もありましたが、
ほぼぶっつけ本番で、皆大きな声で読んでくれました。
中学→高校→5年生→4年生→1年生→2年生→3年生→6年生。
5年生がきりりと読めば、下級生たちが負けじと声を出します。
1年生の元気な声が伸びやかにこだまし、
8,9行目を読む6年生の声が凛として全体を引き締めてくれました。
10行目からは、誕生月で担当。
1,2月生まれ→3,4月生まれ→5,6月生まれ→7,8月生まれ→9,10月生まれ→11,12月生まれ「小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ」。
誕生月ですから、生徒だけでなく、その月の先生方の声も聞こえます。
同じ誕生月の結束で、先生も生徒も声を合わせ、大きな声で読んでくれました。
さあ、ここからは呼応するパート。
「東ニ」を1年が、「行ッテ」が6年というように、1年→6年→2年→5年→3年→4年、そして、「北ニ」は女性の先生方、「ツマラナイカラ」が男の先生方。
男性陣の奮闘が嬉しかったのか、生徒たちからちょっと笑い声も聞こえました。
次の4行は、姉妹グループ別。
もちろん姉妹グループの担当の先生方の声も混じってます。
生徒も「あ、先生の声!」と思いながら読んでくれたことでしょう。
28行目は先生方、29行目「サウイフモノニ」を私が読んで、
最後の「ワタシハナリタイ」を講堂中の全員で声を合わせました。
「ワタシハナリタイ」は、皆の決意表明のように大きな声で締めることができました。
会場全体が一つになって、すご~く素敵な「群読」でした。
拍手!!
きっとドキドキしながら自分の行が来るのを待っていてくれたであろう生徒たち。
そして、大きな声で、しっかりと読んでくれました。
ありがとう。
詩を読むとき、目で追って黙読するだけでは、
その詩の良さは半分も分からないのではないかなと思います。
音の響き、表現の繊細さ、隠れた韻、そしてひとつひとつの言葉の重みが、
声を出して初めて迫ってきます。
あとで、「サムサノナツ」って何ですかという質問を受けました。
冷害で作物が育たない夏のことでしょう。
農業に精を出し、いろいろな研究をしていた賢治も、
自然の力の前に無力さを味わったのではないでしょうか。
何も出来ずにおろおろする賢治の姿は、
確かに「デクノボウ」のように見えるかもしれませんが、
いつも農民と共にあろうとし、
スーパーマンではなく、
おしつけがましくもない、
そんな生き方はなかなか出来るものではありません。
自分が読んだ1行は、きっと意味を噛みしめることができるでしょう。
友達が読んで行の意味も、一緒に考えたら、
解釈が広がり、賢治の世界を無限に想像できることでしょう。
人は想像力という武器を持っています。
何もかも体験することはできなくても、
想像する力があれば、
思いやりも、協力も、平和も、可能だと思います。
地震で今も眠れぬ夜を過ごす九州の方々のことを想像することで、
私たちにできることは何かを考えることができます。
結果としておろおろすることしかできないかもしれないですが、
それは無関心とは全く違うのです。
「見る」「聞く」「読む」という「インプット」から、
「考える」「話す」「書く」「行動する」というアウトプットへ。
「声」をキーワードに、「雨ニモマケズ」の群読が、生徒の皆さんの心に何かを芽生えさせることになったらうれしいです。