長崎原爆の日に

8月9日11時2分、今日は自宅で黙祷を捧げました。

長崎の平和祈念像は北村西望作。
2011年、高校2年研修旅行時に、
引率教員の一人として長崎を訪れました。
自身が高2の研修旅行で訪れて以来の長崎でした。

長崎に原爆が落とされて75年。日曜という巡りのおかげで、今日はテレビの前で平和祈念式典を最後まで見ることができました。長崎の平和祈念式典は、田上長崎市長の「長崎平和宣言」、被爆者代表の男性の「平和への誓い」、長崎の小学生たちの合唱と続き、総理や県知事、国連のグテーレス事務総長の言葉を代読した中満泉国連事務次長の挨拶のあと、被爆50周年記念歌「千羽鶴」合唱まで、中継が続きました。

いつも、田上市長の平和宣言には考えさせられます。世界に向けて発信する宣言の冒頭は、原爆投下から75年、核兵器がまだなくならないことへの強い抗議でした。そして、「新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。」というくだりには、ギクリとさせられました。また、コロナの医療従事者への感謝の拍手のように、「被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。」と呼びかけたのは異例のことでした。そしてこの呼びかけに会場から静かな、そして確かな拍手が沸いたことも、今までの宣言と違ったことでした。田上市長は、私たちにできる拍手のような小さなことから、全世界が行うべき核廃絶のことまで、力強く訴えました。若い人々への呼びかけもありました。どうぞ、長崎市の公式ホームページから、長崎平和宣言を全文読んでください。→日本語版 →英語版 ※ほかの言語でも発信されています。

千羽鶴の歌も、心に響きました。被爆50周年を記念してつくられたこの合唱曲は、作詞 横山 鼎さん、作曲 大島 ミチルさんの作品です。たくさんの色の鶴が登場し、最後は虹色の折り鶴が折られます。純心女子高の皆さんの透き通るような歌声がしみました。いつか歌えるようになりたい歌です。

終戦の日も近づき、新聞やテレビでも戦争と平和について考える特集が増えています。

西遠が平和教育に取り組んでいることについても、2つのテレビ局が取り上げてくださいます。このほど、放送日が決まったとご連絡いただきました。同じ13日ですが、ぜひ両方ご覧ください!

とびっきり!しずおか(静岡朝日テレビ) 
   8月13日(木)18:15~の県内ニュース内で放送

殉難学徒同期の牧野様への取材や、「平和の作文」で曽祖父の体験を発表した生徒など、多岐にわたって取材してくださいました。戦後75年という節目の年でありながら、コロナの影響で平和教育が多大な影響を受けたこと、これからどうやって体験を継承していくのかなど、様々考えさせられる取材でした。

news every.しずおか(静岡第一テレビ)
   8月13日(木)18:15~の県内ニュース内で放送

同じ日になりますが、こちらも西遠の中学1年生が行っている「戦争体験者への聞き書き」のことを取材してくださいました。殉難学徒慰霊式の映像も出るようです。

昨日は、静岡新聞に私の父の戦争体験が紹介されました。この春、中学1年生に取材(聞き取り)のコツを教えてくださった静岡新聞の土屋記者が、父の海軍兵学校での日々を丹念に取材してくださったのです。たくさん文献を読み、父の回想録や浜一中五一会の文集も読んでくださり、良い記事にまとめてくださり、家族で感謝しています。→こちらからお読みください。

誰かの戦争体験を聞くという地味な行動も、私たちは決してやめてはならない。田上市長の平和宣言の「折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、『平和の文化』を市民社会に根づかせていきましょう。」という言葉を今改めてかみしめています。