恩師の訃報

昨日、西遠の音楽の教員として長く勤められた三上孝一先生の訃報が届きました。
オーケストラクラブを育て上げ、入学式や卒業式ではいつも威厳に満ちた指揮をされていた三上先生。
今年はオーケストラクラブ(現オーケストラ部)の創立50周年にあたることもあり、
三上先生には主役として真ん中に座っていただきたかったのですが、それもかなわぬことになってしまいました…。
私は、西遠入学時に「1年学年主任」の三上先生に出会いました。
中学3年間、三上先生は、私たちの学年主任として、時に厳しく、時に優しく、時に笑わせてくれる、ステキな先生でした。
音楽の授業では、教科書の曲はもちろん、「麦踏みながら」「あざみの歌」などの(母の世代には懐かしい)ノスタルジックな曲も教えてくださる、ロマンチックな、そして芸術的な先生でした。
音楽コンクールでは、私は生まれて初めて指揮者をさせられた(立候補ではないので、ホントにさせられた感がある)のですが、三上先生に、指揮の振り方だけでなく、舞台での歩き方まで特訓していただきました。「ひょっこひょっこ歩かない!」と言われて、講堂中をぐるぐると歩いて練習したことを思い出します。
今、私の歩き方が少しでもまともだとすれば、それは三上先生の《歩き方特訓》のおかげです。
音楽の授業中には、「審美眼」という言葉を教えてくださり、外見のきれいさではなく、知性や教養を磨いた美しさこそが大事なのだということを説いてくださいました。
大学を卒業し、母校の教壇に立った私は、2年目から総務部に配属され、平野先生・三上先生の下で働きました。
三上先生は、どんな仕事も優しく教えてくださり、私が困らないようにいつも見守ってくださいました。
駆け出しの新米教師を温かく温かく育ててくださったこと、本当に感謝しております。
実は三上先生と私は誕生日が同じ2月14日で、よくプレゼント交換をしたものです。
その時いただいた音符やバイオリンを模したブローチは今も大切に使わせていただいています。
「ちょっと電話したくなってね」と不意にお電話くださり、そのたびに私の体調や仕事のことを心配してくださいました。
娘がパリに留学している間は、いつも「僕は、大庭さんの娘さんがパリにいるなあと思うと、ヨーロッパの天気が気になっちゃってね、いつも海外の天気予報ではパリの天気を見ちゃうんだ」と話してくださいました。
・・・と、ここまで書いたら、涙が出てきました…。
先生の優しさに満ちた話し声が甦ってきて、さびしくてたまりません。
私の携帯には、三上先生からの留守電が1つ残っています。
今、とても再生する勇気がありません。
先生、今まで本当にありがとうございました。
これからも2月14日は先生のお誕生日も一緒にお祝いします!
先生も、不肖の教え子を空から見守っててくださいね。
三上先生のご冥福を心からお祈りいたします。