長崎原爆の日に 2021

今日は長崎原爆の日です。台風が九州を襲い、その開催も心配された長崎の平和祈念式典。無事に行われ、テレビでの中継を見ながら、午前11時2分に私も黙祷しました。

今年の田上市長の「長崎平和宣言」は、一人の被爆者のお話から始まりました。コルベ神父を生涯慕い続け、今年4月に93歳で亡くなられた小崎登明さんというカトリック修道士さんです。小崎さんは亡くなる直前まで、核兵器はダメだと言い続け、「原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。」と願っておられたそうです。

田上市長は、日本政府と国会議員に訴え、 核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴え、さらに「地球に住むすべての皆さん」と私たちに呼びかけました。《長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。》という宣言を聞きながら、どういう未来をつくるのか、それは私たち一人一人にかかっているのだ、と改めて思いました。

続いて「被爆者代表」として「「平和への誓い」を述べたのは、92歳の 岡 信子さんでした。岡さんは、76年前、看護学生として、被爆した体に鞭打って市民の救護活動に従事した体験を語りましたが、その壮絶な体験に胸が痛くなりました。岡さんご自身、そうした体験を近年まで話すことができなかったのだそうです。そのつらさに耐え、こうして被爆者代表として式典の舞台になった岡さんの勇気と使命感を重く受け止めたいと思います。

国連のグテーレス事務総長のご挨拶は、事務次長の中満泉さんによって代読されました。核兵器禁止に向けて国連の強い決意を聞くことができました。グテーレス氏の「計り知れない悲劇に直面しながらも被爆者の皆さまが示した勇気こそ、人類の希望の光です」という言葉に、長崎の人々がどんなに救われたとこでしょう。言葉のあたたかさ、言葉の重み、言葉の力というものを、グテーレス事務総長の挨拶で考えさせられました。

学園のローズガーデンには、真夏の日差しの中で薔薇たちがたくましく咲いています。8月の暑さの中で、平和について私たちはしっかりと考え、行動したい。長崎原爆の日に、今年も思いました。

午後、偶然母がチャンネルを替えたBS1で、素晴らしい番組を放送していました。2019年に放送されたスペシャル番組の再放送 「女優たちの終わらない夏・終われない夏」 でした。

昨年夏、「夏の雲は忘れない」という本を読みましたが、女優さんたちによるこの朗読劇が、2019年に最後の公演を終えた、そのドキュメンタリーが再放送されていたのでした。

私が子どもの頃、テレビで見ていた女優さんたちが、2年前まで、夏、各地を回ってこの朗読劇を地元の皆さんと共に作り上げていたのです。若い世代への平和の継承への強い意志や、女優としての最後がこの仕事でよかったと語る女優さんの言葉が胸にしみました。

朗読劇に参加した若い専門学校生の方の涙も印象的でした。自分が言うセリフの重い意味に気づき、涙ぐんでしまったのです。彼女のセリフ「あとからでいいよ」‥‥この少年の言葉は、死にそうな我が子に「私も一緒に死ぬから」と言った母親への返事だったのです。思いもよらない命の重みを背負って舞台に立った彼女は、きっと平和への思いがそれまでと全く違ったことでしょう。

素晴らしいドキュメンタリーを、偶然ですが見ることができました。今夜はBSプレミアムで「大地の子」を見ます。戦争について、平和について、たくさん考える8月にしたいものです。

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昨日、コロナウイルスのワクチン接種1回目に行ってまいりました。会場の係の皆様のテキパキとした中にも温かいご対応に接し、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。