平和教育を進める

今日、高校1・2年生は長崎の地を訪れています。長崎市の平和公園で、北村西望作の平和祈念像の前に集って千羽鶴を納め、市内の原爆の生々しい痕跡をたどります。そして、活水高校の平和学習部の皆様と「平和交流会」に臨みます。厳かな気持ちで被爆の地を訪ねる生徒たちは、今回の旅行で何を感じ、どんな思いを持つのでしょうか。発見はあったのでしょうか。ぜひ旅行後に聞いてみたいと思います。

長崎の平和祈念像は、本当に力強く雄々しい像です。右手の指はまっすぐ天を指しています。作者である北村西望という彫刻家は、大変長寿で、1884年に生まれ、1987年に102歳で亡くなりました。

私自身も、高校2年生の研修旅行は九州でした。長崎に先がけて訪問した島原城では、北村西望さんの彫刻が数点野外に設置されており、その迫力に驚いたのを覚えています。

長崎の平和祈念像は4年の歳月を費やして作られ、1955年に完成したのだそうです。祈念像の人物の顔は、決して怒りに震えている表情ではありません。悲しみに打ちひしがれている表情でもありません。祈りの地 長崎の人々の想いが、沈黙した大きな像の表情からうかがわれるように思います。西遠生たちは、今頃、この像を見上げているのでしょうか。

昨日、故和田耕一様のご家族からお電話をいただきました。和田さんの被爆体験がたくさんの生徒の心に平和への強い思いを芽生えさせたことをお話しし、改めて御礼申し上げました。

今日、広島の被爆者の代表を長く務められた坪井直さんのご逝去を知りました。広島を訪ねたアメリカ オバマ元大統領と会い、握手をした方です。96歳でした。1945年8月からその生を終えるその時までずっと、恐ろしく痛ましい被爆体験を人々に伝え続け、平和の大切さを訴え続けた方です。一発の原子爆弾で人生を狂わされてしまった方々が、人生の大半をかけて平和を訴えていらっしゃる。こうした方々がこの世を去られるニュースを聞くのは、寂しく、悲しいことです。申し訳ないような気がします。そして、こんな私でも、あとを託された思いがします。

西遠では、殉難学徒慰霊式の行われる一日だけが、平和を考える機会ではありません。

中学1年の4月に「身近な方の戦争体験を聞いて、作文にまとめる」という大きな課題に挑戦するのをはじめとして、毎年全校生徒が「平和の作文」を書き、生徒会が慰霊式を準備し、運営します。慰霊式の中で、代表者が平和の作文を朗読することも、長く続く本校の伝統です。夏休み前には、必ず、8月の3回のサイレンについてお話しします。

そして、10月、高校2年生の研修旅行で長崎を訪れ、原爆の歴史を知ります。平和活動に従事する活水高校の皆さんとの交流会で、同世代の活躍を知り、大いに刺激を受けます。今年は高校1年生も訪れてこの交流会を体験することで、来年度からの生徒会活動にまた一つ新たな「平和活動」が生まれないかと、私は大いに期待しています。

過去を知ることは、現在を見つめること。現在の課題を知れば、未来を作ることが始まります。「平和」という二文字もまた、生徒たちの未来への大事なキーワードです。