ブログ再開いたします。

久々に、ブログ更新いたします。
6月24日、今日は蒸し暑い浜松ですが、生徒たちは、明るく授業を受けていました。教室のエアコンも作動しています。

高校2年生の数学の授業。メリハリよく進んでいます。

中学1年生は、社会の授業で朝鮮半島について学んでいました。

生徒の声と笑顔、先生の声、黒板の音、…、やはり、学校はいいな、と思いました。

☆  ☆  ☆

私事で恐縮ですが、父が急逝し、昨日までお休みをいただいておりました。ご心配・ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ありませんでした。皆様には、温かいお声がけやメッセージをいただきまして、心より感謝申し上げます。

かつて私が高校時代、明日香村に興味を持ったころ、父は「僕は戦時中ちゃんとした日本史を学べなかった」と言って日本の古代史を学び直し始めました。気づけば、受験を終えた私より長く古代史を学び、年表も作り、自然な流れでシルクロードに興味を持ち、年1回ぐらいのペースで、中国をはじめシルクロードの国々を東から順にたどる海外旅行に出かけていました。また、仏教も学び始めて、様々な経典を読み解いては写経するなど、大変勉強熱心な父でした。88歳で公認会計士の仕事を引退してからは、日々読書に励み、私の何十倍ものスピードで次々と本を読んでいました。半藤一利さんや加藤陽子さんの本を何冊も読んでは「よく調べてあるなあ。すごい人だなあ」と感想を漏らしていたことを思い出します。

そんな父が、2020年8月に新聞記者に自分の戦争時代を語る機会に恵まれました。「海軍兵学校最後の78期生 敗戦前提の教育意図、後に知る」と題されたその記事は「政府が軍部を抑えられずに戦争が始まり、多くの犠牲を出した。あんなばかな戦争、二度とやってはいけない」という父の言葉で締めくくられています。その時も、自分の記事への反響よりも、取材してくださった土屋記者のことを「よく調べて書いてくれている。言いたいことをちゃんとまとめてくれていて、うれしい」と何度も何度もほめていたことが印象的でした。

父の葬儀までの日々は、自分の生き方を問い直す機会でした。たくさん宿題をもらいましたが、まず一番に、父の不戦の誓い、平和を希求する心をしっかりと受け継いでいくことを、父からの数多い人生の宿題の、一つ目の答えとしたいと思います。