小さな白板2023 第22週

図書館入り口に掲げている「小さな白板(ホワイトボード)」、6月12日からの一週間を振り返ります。梅雨の時期だからこそ爽やかに、と思い、山の短歌からスタートです。

6月12日(月)
登りたる山にて知りし花々の素顔はいまも胸に鮮(あた)らし  

 来嶋靖生

山登りで出会う高山植物には、それぞれの素朴な美しさがあり、それが今も胸の中に新鮮に残っている…。この短歌を読みながら、西遠で昔行なわれていた「乗鞍林間学校」のことを思い出しました。買い物は一切なしの林間学校でしたが、旅の思い出として、高山植物のスケッチの絵葉書は生徒から注文を取り、私もまた購入したなあ、と。実際に林間学校での乗鞍岳登山の間は、高山植物に目をやる心のゆとりなどありませんでしたが、個人で挑む登山ならば、日頃見慣れた平地の花とは違う「高山植物」の美しさに気づくゆとりもあるのでしょうし、それも登山の魅力の一つなのでしょうね。

6月13日(火)
眼の前に咲く花の名は空穂草(うつぼぐさ)やうやく覚え心やすらぐ  

 来嶋靖生

ウツボグサを調べると、紫色の花穂の写真がいくつも出てきます。花穂は、やがて褐色になり、枯れたように見えるのだそうです。そして、花穂の形、または花穂の小さな花が、武士が弓矢を入れて背中に背負った道具である靫(うつぼ)に似ていることから、この名がついたとも言われています。(参考:ウィキペディア)

作者はこの花に山で何度も出会い、ようやくその名を知ることができたのでしょうか。小さな花の名前を覚えることで、心が安らいだという作者の優しさが心に沁みます。
二日続けて来嶋靖生氏の短歌を紹介しました。これらの短歌は「短歌研究」2022年2月号に掲載されていたものです。校長室の本棚に並んだ「短歌研究」をパラパラと読み返し、気になった短歌を書き留める(というか、グーグルスプレッドシートに打ち込む)のが私の習慣です。山の短歌だから、初夏になったら紹介しようと思い、この2首を選んで書き留めたのが去年の暮れ近い頃だったと思います。短歌初心者の私にとっては、初めて知る歌人のお名前でしたが、書き留めたことで来嶋氏のお名前を覚えたのでした。すると、それから間もなくのこと。年が明け、朝日新聞の「朝日歌壇」にこんな歌を見つけたのでした。
 チョモランマより高き処に行かれけり山を愛した来嶋靖生氏  
     中原千絵子(朝日歌壇2023年1月15日掲載)

え?と絶句しました。来嶋さんは2022年12月にご逝去されたことを、私はこの日、中原さんの短歌で知ったのでした。私が来嶋氏を知った頃、来嶋氏は静かに旅立っておられたのです。こうして、私にとって来嶋靖生さんは忘れられない歌人となりました。

6月14日(水)
ウクライナにはどんな花が咲くのだらうあはれ連日砲撃つづく   沢口芙美

ウクライナへのロシアの軍事侵攻は、1年以上にわたっています。6月初め、ダムが破壊され、水が押し寄せる村々ではたくさんの人々が逃げ惑うさなかにも砲撃があったというニュースも報じられました。非人道的な「攻撃」という行為に、心が苦しくなるばかりです。ウクライナにはどんな花が咲くのだろう、という想像力を私たちも持ちたい。忘れてはならない、今この瞬間も起きている「戦争」という事態に対し、目を閉じ耳をふさいではいけないと、心から思います。

6月15日(木)
あした海へゆこうひとりでゆこう複雑な涙がこぼれる前に    磯谷祐三

朝日歌壇2023年6月4日に掲載されていた短歌です。作者は何歳ぐらいのかたなのだろう、複雑な涙ってどんなことがあったんだろう…と想像しながら、一人で海を目指す作者の心の中を想いました。「あした海へゆこうひとりで行こう」の部分がさざ波のように心に繰り返し流れてくる短歌です。

6月16日(金)
日常の言葉集めて丁寧に一人のために生まれる短歌  俵万智

短歌ブームと言われ、ひとつ前の朝ドラ「舞いあがれ」でも短歌が取り上げられていました。俵万智さんはこの朝ドラとも連動していくつかの短歌を詠まれていましたが、この短歌は、「短歌研究」2023年1月号に載っていたものです。「舞いあがれ」では短歌が読めなくなった登場人物が、やがて「一人」のために短歌を作ることが大事なのだと気づくシーンもあり、この歌もドラマに沿ったものなのかも、と思いながら、ここに取り上げました。五七五七七の世界も、絵や音楽など様々な創作の原点は、みんな誰か「一人のため」なのかもしれません。その一途な思いがあるからこそ、他の人の心にも突き刺さるのでしょう。

6月17日(土)
目的地大切なれど寄り道にこそときめきも発見もあり   五十嵐順子

寄り道することの醍醐味を教えてくれる短歌です。目的の大切さはしっかり自覚しているけれども、目的地に行くことだけで他のことは全く目に入らないという状態よりも、ちょっと気になったことは寄り道して解明していくというのも、大事なことですよね。週末の白板ですので、寄り道礼賛の短歌にしました!

新たな週は、火曜日からのスタートですね。元気に再会しましょう。