高1、大学の先生のお話を聞く(おまけの紀行文あり)

夏休み前の7月25日、高校1年生は「大学模擬授業」を受講しました。また、夏休み中には、高校1年特進コースのプログラム「西遠セミナー」にて、星組の生徒たちが静大の先生から学問についてお話を聞きました。高校生になって数か月、生徒たちは大学で学ぶ「学問」の幅広さ、奥深さ、そして面白さに気づいたようです。

7月25日に学園にお越しくださったのは、

静岡大学農学部の木村洋子先生。「微生物と発酵」についてお話しくださいました。

静岡県立大学国際関係学部の北野嘉章先生は、「国連安保理の仕組みと安保理改革」についてわかりやすく説明してくださいました。

静岡文化芸術大学文化政策学部の田中裕二先生。「博物館・美術館を支える黒衣で役者 ー学芸員の仕事と大学での教育ー」というタイトルで「学芸員」について詳しくお話してくださいました。

高校1年生は自分の関心のある分野のお話を聞こうと、興味津々で模擬授業に臨んでいました。夏休み直前の講座ではありましたが、夏休み中に自分の進路を考える大きなきっかけになったことでしょう。3人の先生方、暑い暑い日にご来校くださいまして、本当にありがとうございました。

また、8月の西遠セミナーでお話しくださったのは、静岡大学に今年度創設されたグローバル共創学部の平井浩文先生です。

この「グローバル共創学部」という新しい学部がどういう意図で作られたのか、どんな準備があったのかという説明は、私にも大変興味深かったです。農学部とグローバル共創学部の違いなども知ることができ、生徒たちもこれからは文理融合の学問が必要なのだということを感じたのではないでしょうか。講義のあとには質疑応答の時間も設けていただきました。平井先生、ありがとうございました。

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ここから「おまけ」の紀行文です。

実は、私は、7月25日の田中先生の教室を訪ねた時に、生徒たちに配られた美術館のチラシにマティスを見つけ、無性に「マティス展」が見たくなりました。模擬授業の後、田中先生に「マティス展に行きたいなと思っているんです」と言うと、「絶対に良いですよ。ぜひ見に行ってください!」と背中を押してくださり、私は夏休み唯一のプチ旅行「日帰り弾丸東京の旅」を決行したのでした。

とはいっても、私は決してマティスに詳しいわけではありません。オオバとマティスの接点はわずかです。
①チューリップの「ふたりがつくった風景」(1981年)に出てきた♪君が愛した壁にかかるマチスを外せば浮かぶよ四角い白い跡♪という歌詞で初めてマティスという画家を知りました。大学時代のことです。恥ずかしながら、結構いろんな画家を知ってるつもりだったのですが、マティスの名は知らなかったのです…。
②だから、後年、大学生になった娘から「マティスを研究することにした」「フランスでマティスの教会に行った」などと言われ、「え?チューリップの影響?」と口走ってしまったのでしたが、違いました、娘は大学受験直前にたまたまテレビで見たマティスの番組で彼に興味を持ったのでした。そんな娘がフランス滞在時に行ったという南仏のマティスの教会の写真と旅行記は、私にとっても忘れがたいものになりました。現在、東京在住の娘は、もちろん「マティス展」開幕直後に鑑賞に出かけ、大散財したとのこと。
③そして、今年「美」について講堂朝会で話した時、高校3年生の感想文の中にマティス展に行ったという記述を見つけたこと。ご家族でたまたま行ったマティス展で、彼女Aさんはアイリスの絵にいたく感激したと書いていました。Aさんのこの感想文が、私の「マティス行きたい熱」に拍車をかけました。
④そして、7月25日の田中裕二先生の言葉!なかでも、「今回のマティス展はグッズも大変充実していますよ」にかなり心が動きまして…、

7月最後の日曜日、「日帰り弾丸東京の旅」を決行! こだまの車窓に富士山を愛でながら、「水中の哲学者たち」(永井玲衣著)を旅のお供にして、一路上野に向かいました。こだまにしたのは、読書と睡眠の時間確保のためです。突然思い立っての上京だったので、娘とは予定が合わず、マティス展だけを目的に、一人で真夏の上野往復と相成りました。熱中症とコロナ感染には最大限に注意し、水分をまめにとりながら、降り立った上野駅。なんと、公園口の前に広がっていたはずの道路がない!横断歩道渡って上野公園のはずが、駅前はすでに上野公園でした。右手にロータリーが作られていました。
コロナ禍の間に東京というところは大きく姿を変えていました。完全におのぼりさんです。灼熱の太陽の下、ひたすら「東京都美術館」に向かって歩みを進めます。あれぇ、スタバがあるぅ、4年前には絶対なかったぞ~、などと心の中で呟きながら…、上野動物園を横目で見つつ、十数年ぶり、いや、もしかしたら20年以上ぶりの東京都美術館へ。

マティスのすべてが見られるという大掛かりな美術展、たくさんの人が訪れていました。前もって11時-12時の時間帯で予約しておいた私は「予約時間が少し過ぎたぐらいに行った方がいいですよ。予約開始時間は混みます。」という田中先生のご助言通りに11時15分過ぎに美術館に到着し、スムーズに会場に入ることができました。(田中先生に足を向けて寝られないです!貴重なアドバイスをありがとうございました!)

マティスが若い頃描いていた絵画、彫刻、パリ時代の絵、そして南仏へ、いくつもの展示場がマティスの人生と作品を紹介しています。彼は、第2次世界大戦の頃、病気療養をしています。そして、戦後、マティスはヴァンスのロザリオ礼拝堂建築に携わります。

マティスが彫刻を残していたことを、私は初めて知りましたし、初期の絵は全く知らないものばかりでした。後半生の展示では、雑誌の表紙の切り絵もたくさん飾られていました。これらは見たことのある、なじみ深いマティスでした。そして、礼拝堂。娘が旅行後に興奮気味に語ってくれたかの地の話を思い出しながら、展示物を見、NHK制作の番組も2回通り鑑賞しました。

写真OKのコーナーでは、皆さんスマホで熱心に写真を撮っていました。お客さんが映り込まないように撮るのが至難の業でした。

Aさんの感動したというアイリスのデッサンに出会えた時には、宝物に出会えたようで嬉しかったです。デッサンのシンプルな力強さ、色を想像したくなる余白。Aさんの書いていた集会記録を思い出しながら、鑑賞しました。

一方、私は「白とバラ色の頭部」という絵画に心惹かれました。ピンクと青のストライプがとても素敵に感じ、心に残ったのです。

そして、最後はミュージアムショップです。グッズは多岐にわたっていて、本当に充実していました。絵ハガキは後悔しないようにたくさん買いました、もちろん、Aさんのお気に入りのアイリスの絵も。

そして、これが自分へのお土産。「白とバラ色の頭部」の絵ハガキとマグカップです。自分でマグカップを買うなんて何年ぶりでしょう。心弾ませながら、「大散財」したのでした。ミュージアムショップの店員さんもフレンドリーでした。

美術館を後にすると、上野公園はちょうどお昼時で、どこのお店も大混雑です。暑さに負けず皆さん精力的だなあと思いながら、パンダにもガラパゴスゾウガメのタロウにも会いたいけれどぐっと我慢して(夏バテしそうだったので)、動物園は訪ねずに上野を離れました。東京駅でちょっと遅めのランチを済ませ、本も読み進めて、帰りのこだまに乗りました。東京滞在4時間半の弾丸日帰り旅行。しゃべった相手は店員さんだけ、本も一冊読破、というお一人様の時間は、何ともぜいたくなものでした。この夏一番の清涼なる思い出です。

以上、おまけの紀行文にお付き合いくださり、ありがとうございました。