学校誌「友情」

私は西遠の学校誌「友情」の顧問・副顧問を長く務めてきました。
昭和58年度~62年度の5年間と、
平成16年度~昨年度までの10年間、
合わせて15年間、編集に携わってきたわけです。
小さいころから、編集者に憧れを抱いてきたこともあって、
教員としてこの仕事に携わることができ、とても幸せでした。
最初に携わったのは、新任の時。

ヤシの木のイラストの147号でデビューしました。
当時は、芸術選択の美術専攻生が表紙の図案を描き、
その中から毎年4作品が選ばれて表紙を飾っていました。
上の写真の中で唯一違うのが、
ピンク色の表紙の時です。
忘れもしない岡本富郎先生の追悼号で、
表紙はあたたかいイメージにしたいということもあり、
急遽、美術科の斎藤先生に描いていただいたのでした。
そのころ、当時の大橋教頭先生から、
「友情」とは学校の記録誌であり、この冊子から周年誌も編纂されるのだから内容に漏れがないようにしなさい、
とご助言をいただき、肝に銘じたものでした。
(数々の失敗がありましたが…。)
そして、80周年を迎え、「友情」もその年度の4冊にはすべて80周年のシンボルマークを入れました。

シンボルマーク、わかりますか?
これです。

生徒から募集したデザインの中から選ばれたロゴでした。
80周年の冬、私は長女の出産のために産休に入ったのですが、
なぜかその陣痛の朝まで、編集委員から記事についての相談の電話がかかってきたのを覚えています。
90周年の表紙は、

西遠初のキャラクター「ペリキュー」と、手前の90周年シンボルマーク。
このころは、編集からは遠ざかっておりましたので、
一読者として発行を楽しみにしていました。
編集委員は、中学3年生から高校2年生の終わりまでの3年間が任期です。
その仕事は責任重大。
実は、娘も在学中に編集委員を務め(陣痛の時からの運命だろうか…?)、
「式典の時に、大正写真館のおじさんに撮り方教わって、すごくお世話になった!」
と言っておりました。
取材や編集作業を通じてたくさんの出会いがあり、それが編集委員たちを成長させてくれたのでしょう。
再び私が顧問になったのが、
100周年を2年後に控えた平成16年。

「カウントダウン100周年」という特集も毎号組んだりして、編集委員一丸となって、来たるべき記念の年を迎える準備に励みました。
そして、平成18年3月3日、西遠が100周年を迎え、
平成18年度、記念の4冊は
初めて表紙を写真が飾りました。

表紙に入ったのは、ペリキューに加えて、
スタート(ペガサス)と、イッポ(カメ)という新キャラクター。
そして、100周年のロゴマークも。

このときの編集委員は本当に大忙しでした。
行事の取材に万全を期すべく、準備に追われ、
行事が終わればページの割り付けに頭をひねり、
総動員で記事を仕上げました。
特に、アクト大ホールでの記念式は、
服部克久さんのインタビューや
舞台裏の様子の記録、
そして、式のビデオ撮影まで
編集委員が必死で務めたのでした。
懐かしい思い出です。
そして、昨年度、「友情」にとっては歴史的な変革の年となりました。
今までのB5版から、A4版オールカラーになったのです。

中身も写真を増やし、カラーの良さを生かすようになりました。

あっという間の10年間を両角先生とのコンビで走り抜けました。
きっとこのコンビで、歴代「友情」顧問・副顧問最長記録を更新したのではないかなと思っています。
15年間の間、編集委員たちと紡いだ歴史は
笑いと涙と絶叫と怒声と…笑・・・本当に密度の濃いものでした。
オオバにこき使われちゃった歴代友情編集委員の皆さん、
ごめんねー! そして、ありがとう!
編集委員の中には、
「私の夢は、『友情』の卒業生紹介のページに載ること!」
と言って卒業していく人もいます。
編集委員たちが社会に羽ばたき、活躍してくれたら、本当に素敵だなと思います。
(編集委員たちよ、お世辞じゃないよ、心から期待してますから!)
さて、今年度からは、卒業生コンビの鈴木絢先生・福永先生が
フレッシュに「友情」を牽引してくれます。
今日は、開明堂さんとお会いして、新旧の申し送りを完了しました。
3年から5年の編集委員たちも
新しい冷暖房完備の編集室にて、
やる気十分(おそらく…いえ、絶対!)ですので、
新年度最初の265号の完成をお楽しみに!
6月発行の予定です。
では、最後に「今日のくまモン」のコーナーです。

横に広がって見つめてました…。