恩師との再会

今日は、大寒。
寒さ厳しい日ですが、私にとってはうれしい日でもありました。
今日は、東京からはるばる大学時代の恩師の森江晃三先生が西遠にお越しくださったのです。
森江先生は生物学の先生です。
都留文科大学1年の時に受講した森江先生の「生物学」は、出席票の裏に突然スズメの絵を描きなさいと言われて戸惑ったり、バードウィークに鳥の「聞きなし」(鳥のさえずりを「てっぺん掛けたか」のように意味ある言葉にすること)をさせられたり、という面白い講義でした。
ただし、月曜日の1時間目の講義で、しかも出欠を必ず取るので、寝坊したりずる休みしたりする大学生には厳しい授業だったと思います。
私は1年間1回の休みもなく出席し・・・、と言いたいところですが、実は1回だけお休みしたことがありました。
下宿の隣室の友人との間で悩むことがあり、日曜の朝、浜松まで帰省したのです。
突発的な『家出』ならぬ『下宿出』でした(笑)。
ただ、生物学を欠席することになるのがとても気がかりで、森江先生宛てに欠席理由を書いた届をしたため、別の下宿の友達に託し(と言っても早朝だったので、その子の部屋の前に手紙を置いただけでした)帰省を決行したのでした。
浜松に一泊し、親といろいろ話してすっきりし、翌月曜日の夕方に私は都留に帰りました。
すると、下宿の部屋の郵便受けに、一通の手紙が入っていたのです。
見ると、森江先生からのお手紙でした。
大学の「教授」という方からお手紙をいただくなんて、大変驚き、恐縮しつつ、中を読むと、
「悩みごとの相談での帰省とのことですが、大学の先生でも相談に乗りますから、これからはぜひ気軽に大学の研究室へ相談にいらしてください」
という内容!
しかも、先生の手描きの花の絵まで添えられていて、またまたびっくり。
感激した私は、お返事を書きました。
すると、また森江先生がお返事をくださいました。
・・・・という始まりで、現在に至るまで、長い長い文通が続いているのです。
生物学とはほぼ無縁の国文学科の学生が、こうして生物学の先生を恩師と呼ばせていただけるということは、本当に幸運で光栄なことです。
「しょっけん」の話は1月初めにこのブログにも書かせていただきましたが、そのしょっけんの死をお知らせくださったのも、森江先生でした。
また、ダンスフェスティバルが阪神大震災の年に一度だけ東京で開かれた時には、中野の会場まで足を運んでくださり、西遠のダンス部の作品『昔、武陵桃源ありけり』をご覧になってくださいました。
一昨年の秋には、先生の絵の個展が東京の高尾で行われるとうかがい、娘と共にお邪魔し、ゆっくりとお話させていただきました。
奥様お手製のおむすびやお菓子までいただいてしまいました!
そして、今回、浜松まで先生がいらしてくださいました。
大学の60周年記念誌の企画で、「師弟対談」の「弟子」に恐れ多くも選んでいただいたのです。
しかも、「大庭さんは忙しいから、私が行きます」と遠征してくださったのです。
校長室にて、ほぼ取り留めのないお話で盛り上がってしまいましたが、
とても楽しく貴重なひと時でした。

都留大で学んだことが今の私を作っていることは紛れもない事実であり、
その大学4年間の中で、こうして一生続く出会いをさせていただいたことは私にとって素晴らしい財産です。
森江先生のご健康を心からお祈りするとともに、
これからも不肖の弟子(しかも専攻は全く違う…)をずっと見守っていていただきたいと心から願っております。
森江先生、今日は本当にありがとうございました。