中学講堂朝会

去る5月10日の中学講堂朝会では、
「わたしはマララ」「小説日本婦道記」の2冊の本の紹介のほか、
私自身が高校時代に所属していた放送委員会での「言葉」をめぐる失敗談やNHK杯全国高校放送コンテストにまつわる思い出などを語り、
ついでNHKのEテレで何年も放送が続いている「にほんごであそぼ」についての話題、
日ごろみんなが使っている言葉の中で、私が「これは変だな」と思っている使い方などに触れ、
日本語の豊かさ・奥深さを認識して、
正しい日本語、きれいな日本語を使ってほしいというお話をしました。
皆さんは、気になりませんか?
「半端ない」とか「ワタシ的には」「なにげに」などという表現。
お店の方が使う「千円からお預かりします」「こちら、コーヒーになります」「~でよろしかったでしょうか」などなど。
日本語は、オノマトペが豊富で、繊細な言語だと思います。
使いやすいように変遷を重ねていくのは、どの言葉でも当然なのですが、
流行っているからと言って、すぐにその言葉を使いこなしてしまうことが、
果たして日本語の継承者としてふさわしいことなのかどうか、
若い中学生の皆さんにはぜひとも考えてほしいところです。
そんな私の思いが中学生の皆さんに通じたのか、
集会記録を読むまではちょっと不安でした。
でも、先週3学年から出そろった集会記録を読むと、
言葉についていろいろ考えた足跡が分かるものばかりで、
与えられたテーマをじっくり考えることのできる中学生たちをとっても頼もしく思いました。

≪集会記録より≫

1年生
 入学式から今日まで、校長先生をはじめとする西遠の先生方の言葉の使い方について、優しさやていねいさを感じている。今日のお話の中の「豊かな言葉」と「美しい言葉」を私も今後意識していきたいと思う。私も、小学生の時に放送委員の経験がある。全校放送を流す前に、今日は何を伝えるべきか、この言い方で低学年の子たちにも内容が正しく伝わるだろうかと考え、言葉を選び、ていねいに話そうと心がけていたことを思い出した。西遠の生徒となり、言葉はただ内容を伝えるためだけではなく、相手の心に届くように豊かに美しく伝えることをもっと考えていかなければならない。
2年生
 今まで私は日本語を正しく使えているかどうか自信がなく、正しくしたいと思っていました。例えば、今回の話にも出てきた「はんぱない」という言葉です。私も今まで何度も使ってきました。最初は違和感があったのですが、何度も使っているうちに違和感もなくなり、慣れてしまいました。「~的な」という言葉も普段何気なく使っていました。今の時代は、たくさんの言葉があり、何が正しいのか、何が間違っているのかが分からなくなってしまっています。ことわざなども、間違って使っているものもあります。日本語は、しっかりと正しい意味で使ってこそ、美しいと思います。私も言葉やことわざの正しい意味を知り、美しい日本語を使いたいと思いました。
3年生
 私もたまにおかしな日本語を使っています。改めて自分が使っている言葉を思い出すと、おかしなところがたくさん出てくると思います。現代の人たちは、おかしな日本語をおかしいとは思っていても、自然に使っています。もし、このままみんながおかしな日本語を使っていったら、おかしな日本語だらけの世界になってしまうと思います。だから、今からしっかりと正しい日本語を使わないといけないなと思いました。私たちが正しい日本語を使えば、その後も正しい日本語は続くと思います。日本の伝統(言葉)を正しく受け継いで、次の人たちに正しく伝えていきたいと思いました。
…各学年1人だけ掲載させていただきましたが、みんなしっかりした文章で、私の講堂朝会を振り返ってくれていました。
中には、「眠くなりませんでした」という素直な感想もあって、うれしかったです!
今週末は高校の講堂朝会。さて、何を話しましょうか…。