考える生徒たち2 —講堂朝会、感想よりー

4月17日に行われた今年度最初の講堂朝会では、西遠の「校歌」についてお話しました。昨日に引き続き、生徒の皆さんから寄せられた感想をご紹介します。生徒たちは、講堂で私の話を聞き、様々なことを考え、校歌と向き合いました。上は2人の生徒の感想をご紹介しましょう。

校歌の伴奏者として

私は校歌の伴奏を他学年の子たちと交代で弾いていて、講堂朝会や式典の時などはいつもステージ袖におり、ほとんどみんなと同じ場所で学園の歌を歌ったことがありません。私はそれを少し残念に思っていたので、今回校歌について考える時間を作っていただき、とてもありがたく思っています。富郎先生が「校歌的なものより寮歌的なものを…」という思いでおられたそうで、私も卒業後、この美しい校歌をふとした時に口ずさみたいと思いました。高校の卒業式で毎年「忘るるなかれ若き日を」の部分を歌っているとき、自分が卒業するというわけでもないのですが、涙ぐんでしまうような、とても素敵な歌詞だと感じています。卒業するまで残り1年もありませんが、これからは歌に込められた思いや物語を思い浮かべながら歌おうと思いました。(高校3年)

※講堂朝会では、指揮者の村木先生をステージ袖で支える影のスタッフとして、校歌の伴奏者の生徒が複数います。校歌をピアノで伴奏するという仕事は、地味だけれど、とても大事な、そして緊張する仕事です。私もずっと以前、講堂のステージ袖に待機していたことが何度かありました(学園誌「友情」のカメラマンとしてだったかな)が、一発勝負(もちろんここで練習なんてできませんから)の伴奏者たちの緊張度は大変なものがありました。間近でそれを見ながら、伴奏のお仕事の重大さを感じたものでした。いつも、伴奏という大切な役目を果たしてくれて、ありがとう!

変わらないものの意味

西遠の校歌は、富郎先生と親友の安部忠三さんとの友情から生まれたことを知り、とても温かい気持ちになりました。一から校歌を作り上げる作業は、作詞作曲それぞれの苦労が想像できますが、歌詞があっという間に書き上げられたエピソードで、西遠に対する思いが強く感じられました。私は短調なメロディーで今まで校歌としては聞いたことのない曲調ばかりに関心が向き、歌詞の意味を理解できずにいました。2番までだと思っていた歌詞が5番まであったことにも驚きました。初めて歌詞を繰り返し声に出して読んでみました。すると、あれっ?そういえば、私が幼い頃から時折り母が口ずさんでいたなと、ふとその姿が目に浮かびました。これが、富郎先生が願われた「卒業してからも自然に口ずさむことができる歌」という言葉と重なりました。
現在、音楽やファッション、ゲーム、インターネットなどの流行や技術はj日々進歩を続け、そのスピードは著しく速いものです。変化していくことが良いこと、とすら感じてしまいます。けれども私は校歌5番の「をみな子のみさをつつまし秀づるや松のこずゑのいやしげり袖師が森の奥ふかくみどりかはらじとこしへに」から、変わらないことがあると確かに感じました。私なりに感じ取ったことは、変わらないことは尊いことであり、守り抜くこと、信念を貫き、自分を磨くことです。時代の流れとともに変わっていくものと、変わらぬものの両方を大切にしていくことは、私たちの課題だと言えるでしょう。
富郎先生と安部忠三さんの友情の絆によって西遠全体を一つにしてくれる校歌が生まれました。いわば、校歌とは「絆の証」なんだとも思いました。これから私は先輩たちが築き上げた歴史や伝統を守りながら、友情を深め、私らしく大切に学園生活を送っていきたいと気持ちを新たにしました。(中学1年)

※中学1年生の力強く、そして深い考察に感動しました。変わるものと変わらないもの。校歌は後者の象徴でもあります。昭和初期の富郎先生の思いを令和3年の入学生が知る…。西遠の歴史と伝統の重み、その意味を知らされたように思いました。

岡本富郎先生の思いをかみしめながら歌う西遠の校歌。一曲の重みと、それを歌い続けていく喜びとを、改めて感じることができました。

次回は、同じ講堂朝会の中で「役員認証式」について触れた私の話に対する、生徒の皆さんの感想をご紹介しようと思います。

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おまけ:昨日19:30から、中野町の夜空に花火が上がりました。突然のサプライズに、静かに過ごすゴールデンウィークにささやかなプレゼントをもらったような気持になりました。