原爆から恒久平和へ

7月24日の授業納めの式で、今年も私は全校の生徒に「8月に3回鳴るサイレンの意味をかみしめてほしい。」とお話しました。
3回のサイレンがいつ鳴るのか、講堂に座った隣同士で確認してみようと言いましたが、あの時、生徒の皆さんは3回共にしっかりと日時を言えたでしょうか。
一回目の8月6日の8時15分のサイレンを、私は校長室で聴き、静かに黙祷しました。
黙祷直後の松井広島市長の平和宣言は、いつもに増して重みのある言葉で満ちていました。
特に出だしの「皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。」の一文は重く響きました。
想像することからこそ、平和は生まれるのだと思います。
今もなお、苦しみ続けている人がいることも、私たちは想像力を働かせ、その方々の思いを受け止めなくてはなりません。
広島市のホームページには今年の「平和宣言」の全文が掲載されています。→こちらからお読みください。
今年、私には、原爆の日を前に、どうしても読み終えておきたい本がありました。
先月20日に発行されたばかりの岩波ジュニア新書「核兵器はなくせる」です。
筆者は、昨年ノーベル平和賞を受賞したICANの国際運営委員のお一人川崎哲(あきら)さん。
川崎さんが6日に広島を訪れること、原爆の日に合わせてノーベル平和賞のメダルが原爆資料館に展示されていること(今日からは長崎で展示されています)などを知り、川崎さんの著作を読んでから今年の原爆の日を迎えたいと思いました。
8月5日、この本を読み終え、川崎さんの半生、そしてICANの道のりを知りました。
昨年の核兵器禁止条約の国連採択までに、ICANの運営委員はもちろんですが、広島や長崎の被爆者の方々がいかに尽力して世界中の人々をどう動かしたのかを知ることもできました。
そして、小さなことでも声をあげて動き続けることが、なんて大きな希望を生むのだろうと感銘を受け、行動の大切さを改めて感じました。

川崎さんの新刊と共に、上の写真に写っている本は、どれも戦争体験者の手記を集めた本です。
多くの方々が、自分たちが受けた恐怖や悲しみ、苦しみを二度と繰り返してはならないと訴えています。
その声を受け止める側に立っている責任を、私はここ数年、殊にひしひしと感じます。
明日は2度目のサイレンが鳴る日です。
広島の原爆投下時刻は知っていても、長崎はよく知らないという生徒も多かったのではないでしょうか。
しかし、高校2年生は違いました。
授業納めの3日前に映画「この子を残して」を学年で鑑賞し、11時2分という時刻を映像とともに胸に刻んでいました。
後日、学年主任の長田先生が、高校2年生の感想文を私に読ませてくれました。
10月の九州研修旅行を前に、長崎への原爆投下を学んだ生徒たちは、一様にこの映画に衝撃を受け、平和について深く考えたことが文面から分かりました。
☆原爆が長崎に落ちた8月9日の11時02分まで、今の私たちと変わらず、人々は笑顔に溢れていた。けれど、午前11時02分、一発の原子爆弾によって、約7万人もの死者を出す、とても悲惨で悲しい日々が始まった。映画のおばあちゃんのように、生き残ることができても、その先ずっと悲しみと闘いながら生きていくのはつらいことだと思った。
☆慰霊式のたびに考えさせられた戦争。戦争がどれだけ悲惨なものなのか分かっているつもりで全然分かっていなかったことに気がつきました。映画で原爆が落とされた場面はもう見ていられないほどのものでした。母を亡くすことがどれだけ悲しいことなのかを考えるだけで涙が止まりませんでした。
☆最後の、直視できないほど凄惨な生々しい映像は、私に原子爆弾の威力を改めて気付かせました。一瞬で幸せな家族を壊し、人々を長く苦しめ、人生をめちゃくちゃにしてしまう原子爆弾。この世で一番必要のないものです。
☆日本は原子爆弾が落とされた唯一の国なので、その日本から世界に原子爆弾の怖さを伝えていかないといけないと思いました。そのためにも、私たちのような若い世代でも、戦争や原子爆弾のことについてしっかりと考えをもつことが大切だと思います。この映画は良いきっかけになりました。
今年の8月9日を、西遠の高校2年生たちは今までとは違う思いで迎えるのだろうと思います。
戦争の記憶は風化し、消え去ってしまうのでしょうか。
いいえ、戦争について、平和について、年々思いを深めていくことは可能だと思います。
特に、スポンジのようにたくさんのことを吸収できる若い世代には…。
8月6日夜、私はNHKのドラマを見ました。
「夕凪の街 桜の国2018」
広島を舞台にしたこのドラマにも、原爆で日常を奪われっしまった人々の悔しさや悲しみ、年月がたっても消えない原爆症への恐怖が丹念に描かれていました。
作り手の思いが伝わってきました。
私もまた、今年も細々ではありますが、戦争体験者の方に取材し、ホームページのコーナー『戦後70年―西遠の記憶』に掲載していきたいと思います。
それが、声を受け止める側に立っている責任であると感じています。