山本周五郎ファン

今週は本の話題が多いかもしれません。今日は、作家 山本周五郎をめぐるお話。

山本周五郎は、1903年(明治36年)6月22日 に山梨県で生まれ、 1967年(昭和42年)2月14日に亡くなりました。明日が命日ですね。作品は時代小説が多く、江戸時代の庶民の貧しくとも生き生きとした生活、人情の美しさ、武士の誇りなど、端正な文章と心震えるような感動的な結末で、時を超えて、読む人々を魅了している作家です。

山本周五郎の本は、「西遠生にすすめる本」にもたくさん登場しますが、皆さんは山本周五郎の本を読んだことがありますか? 私は高校時代、彼の本に触れ、その魅力にはまりました。最初に読んだのが「さぶ」、続いて「柳橋物語」、そして「日本婦道記」の順に読んだと記憶しています。最初の二つは、前進座のお芝居がきっかけで読み、「日本婦道記」は放送コンテストの課題本として出会いました。大人になってから読んだのは、「樅ノ木は残った」「松風の門」など。「松風の門」の中の「鼓くらべ」が国語の教科書に載っていたこともあるので、「お留伊」という主人公の名と共に覚えている人もいるかもしれませんね。

と、そこまで書いて、写真です。

左の本は『短歌研究』2023年1月号。
右の4冊は、校長室に置いてある周五郎の本4冊。背表紙の色に注目しておいてくださいね。4冊のうち、一番左の「さぶ」は私が高校時代読んでいた本です。年代物ですので、表紙が破れかけていて分解寸前です。
これらの本が写真で並んでいる理由。それは、「短歌研究」の中にあった千葉聡さんのエッセイのせいなんです!

この「短歌研究」1月号の「人生処方歌集」の中で、歌人であり、高校教師である千葉聡(通称ちばさと)さんが『それ、なんという本ですか?』というエッセイを書かれています。そこには、何冊かの本と作者のことが書かれているのですが、その最後のエピソードが「山本周五郎先生」なのです。

大学3年生の時に、千葉さんは電車の中で「周五郎先生」の「柳橋物語」を読んでいました。主人公おせんの最後の呟きに、涙が溢れ出て、鼻をすすりながら泣いていた千葉さんに、 一人の会社員風のおじさんが 「大丈夫ですか? それ、なんという本ですか?」と声を掛けてくれたのだそうです。涙で声にならない千葉さんは、その本を覆っていた本屋さんのカバーを外し、「これ、これ」と本の表紙を見せました。すると、そのおじさんはこう言ったそうです。「ありがとう。すぐに買いに行きます。」

やった!売り上げに貢献できた!と喜ぶ大学生ちばさと。千葉聡さんにとって、「山本周五郎先生」は、「人生の伴走者であってほしいと願う作家」なのだそうです。そして、エッセイの最後はこう綴られています。

 皆さん、もしよかったら山本周五郎の小説を読んでください。もし書店でお会いすることがありましたら、山本カラーの背表紙の前で、不肖ちばさとが泣きながら、周五郎先生の魅力を語らせていただきます。

なんだか、書店の周五郎コーナーで、きょろきょろと、ちばさと先生を探してしまいそうです。皆さんも書店で、上の写真を参考に、新潮文庫の山本カラーの背表紙を探してください。ラッキーな人は、ちばさと先生に会えるかもしれません!

私も、周五郎作品の真っすぐな心の主人公が好きです。凛とした女性に感動します。心得の間違いを指摘されて正す素直な登場人物に、心洗われます。また、さぶのように、ドジでダメな奴と思われるような人にも、素晴らしい魅力があり、そういう人々が世の中を作っているのだということも、「さぶ」を読んだからこそ気づきました。
「さぶ」の中にこんなセリフがあります。
 「どんなに賢くっても、にんげん自分の背中を見ることはできないんだからね」
周五郎作品には、市井に生きる名もない人々の実直で美しい心根があふれています。皆さんもぜひ周五郎作品に触れてください。ちばさと先生より控えめにではありますが、私も周五郎ファンとして語り出すと長くなるかもしれません…。

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日曜の夕方、メジロとシジュウカラが我が家の庭にやってきました。母・私・妹の3人で、しばらく野鳥観察を楽しみました。