ある詩人の生涯に触れて

今日は12月26日、小栗旬さんのお誕生日だな~と思っていたら、ある詩人の命日であることを知りました。石垣りんという現代詩人です。「石垣 りん」をネットで調べると 1920年(大正9年)2月21日 ~ 2004年(平成16年)12月26日とあります。詩集では、『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』『表札など』が知られています。

石垣りんさんを知ったのは、大学3年の春でした。「近代詩ゼミ」に入った私は、1つ上でゼミの責任者となったS先輩が「私は石垣りんというおばちゃん詩人を卒論で書くの」と発言した時に、初めてこの詩人の存在を知ったのでした。「卒論のことで相談に行って、りんさんにお話を聞いてきた」というS先輩の行動力に敬服しつつ、そんなに親しみ深い距離に詩人が存在するのだと驚いたことを覚えています。S先輩の研究発表のおかげで、石垣りんという詩人は家族を養うために定年まで銀行で働きながら、詩を書いていたことを知りました。たくましい女性だな、生活を詩にしているのだな、と思いました(今思えば大変浅い印象、そして認識でした)。

その詩人がこの冬、急に私の生活の中に入り込んできました。それは、新聞記者の三浦英之さんの旧ツイッターの呟きがきっかけでした。
「ちょっと試し読みでは伝わらないかもですが、今発売号の梯久美子さんの石垣りんの評伝、あまりに良過ぎて震える。ぜひ全編を読んでほしい。家族とは、生きるとは、ここまで凄絶で切実なものなのか。次号が待ち遠しくてたまらない。」
と、三浦さんが文芸誌「新潮」発行の引用リツイートをしていたのです。早速、試し読みしてみました。本当にぐいぐい引き込まれました。「試し読み」を終えて、すぐに雑誌の注文をしました。

そうして、届きました!「新潮 2024年1月号」。

梯(かけはし)久美子さんによる「一人の椅子 石垣りんのために」という「新連載」は、
「石垣りんはひとりで生き、老いた。」
という文で始まっています。そして、
「職場も家も、彼女の居場所ではなかった。」
と彼女の一生を表現していました。
私が大学時代にS先輩の論文発表を聞いた時には知り得なかった詩人の深い深い孤独が、梯さんの文章を読んで、胸に迫ってきました。学生時代の浅はかな自分には、先輩の研究に入れ込むほどの情熱はなかったし、自分事としてこの詩人の姿を捉えていなかったのです。家族はいても孤独だった、決して仕事も家庭も居場所にならなかった、という詩人の内面の闇のような部分も若い頃には想像もできないものでした。

梯さんの文章は、石垣りんという女性が「家族」という存在をどうとらえ、どう戦ってきたのかを紐解いています。そして、茨木のり子という同時代の詩人を挙げて、茨木紀子による石垣りん追悼の言葉が紹介され…
「茨木のり子という存在を隣に置いたときに、石垣りんの輪郭が、よりくっきりと見えてくる。(つづく)」
と「連載第一回」は締めくくられていたのでした。

「つづく」? 引き込まれて読んだら、続きは来月!? 
「え?続きは一か月待たなくちゃいけないの?」と久々にお預けを食らった気持ちでいます。「次号が待ち遠しくてたまらない」と呟いた呟いた三浦英之さんと同じ気持ちです。
でも、楽しみができました。石垣りんさんの生涯に触れ、彼女の人生と詩を学ぶ2024年になりそうで、わくわくしています。