「美」について考える ~講堂朝会感想より 1~

6月17日の全校講堂朝会で、「美」について問いかけました。大きな問いかけは2つです。「どんなものに美しさを感じるか?」、そして「私たちは美しいのか?」という2つの問いかけに対して、生徒たちが集会記録に書き記した内容を紹介しながら、「美」について考察を深めたいと思います。

学園長先生の停止礼

講堂朝会の中で、私は「正門や胸像の前での停止礼が一番美しいのは、学園長先生だと思います」と言いました。それに対し、生徒たちはこう書いています。

  • 特に心に残ったのは、校長先生が、学園長先生の停止礼がとても美しいとおっしゃっていたことです。私も、放課後に友達といつも通り楽しく会話していたとき、学園長先生の停止礼をみたことがあります。それはほんとうに美しくて心のこもったおじぎでした。そのていねいなおじぎをみた私たちは、いつもよりも丁寧に心をこめておじぎをしてみると、とても良い気持ちになりました。今まで、美しいおじぎをできていなかったかなと考えたのでこれからは学園長先生のようなていねいで美しい停止礼をできるよう意識していきたいです。(中学2年)

学園長先生にも、忘れられないお辞儀があるそうです。上皇ご夫妻が戦後70年の年にパラオを訪れた時、慰霊の思いを込めてされた「礼」が本当に美しかった、あんなに美しいお辞儀はないなあ、とお話してくださいました。美しいお辞儀を見て、学び、自ら心がける、ということを、学園長先生は率先垂範してくださっているのです。そして、今日6月28日は、学園長先生のお誕生日です。先生、お誕生日おめでとうございます。

講堂朝会のあと、停止礼が美しくなった生徒が増えました。心を込める、ということを、学園長先生を見習って生徒たちなりに実践しているのだと思います。

  • 私は、急いでいるときや、友達と話しているときは、どうしてもその物事を優先してしまいます。ですが、校長先生が一番ステキだなと思ったのが学園長先生とおっしゃっていて、「停止礼でも、きちんと心を込めて礼している。」と聞いて、私はそれを思い浮かべるだけでもどれだけ学園長先生の停止礼がきれいなのかが伝わりました。心を込めずに停止礼をするのと、心を込めて停止礼するのはとても大きな差だと思いました。いくら急いでいるときや友達と話しているときでも、心を込めて停止礼ができるように意識していきたいなと思いました。(中学2年)
今日の下校時の生徒です。

入寮で知る「美しさ」

4年ぶりに宿泊を伴う「入寮」が再開されました。中学3年生に続いて、今、中学1年生が生活会館での「入寮」を体験しています。講堂朝会では、入寮についても触れ、私は、指導にあたる金原先生や影山先生の所作を美しいと思う、と紹介しました。

  • 去年入寮をしたときに影山先生や金原先生の一つ一つの動作がとてもきれいだなと思ったので、教えてくださる先生方の言葉遣いや仕草がとてもきれいだというお話を聞いて確かにそうだなと思いました。私達の学年は7月に初めての宿泊での入寮があるので、そのときは指導を受けているときだけではなく、常にきれいな姿勢、仕草で行うということを心がけて頑張りたいと思いました。そして、言葉遣いにも気をつけて生活会館で過ごしたいです。入寮で学んで終わりにするのではなく、入寮で学んだことを普段の生活にもどんどん活かして、美しい西遠生になれるようになりたいなと思いました。(中学2年)
  • 「西遠生の美しさ」とはなにかを考えたときに真っ先に浮かんだのは容姿よりも内からにじみ出る美しさでした。具体的には立ち振舞や言葉遣いのことです。そして、それらは入寮指導によって身につくものだと考えています。私達の世代は宿泊はできていませんが、あの雰囲気を体験したときに、背筋が伸び態度を改めて厳かな気持ちで受けようと思ったことを覚えています。入寮指導では講師の方だけでなく指導生として先輩も来ていただきます。私はその先輩方も今一度自分の態度を振り返る重要な役割だと思っています。あのときに見た先輩の立ち方や座り方など、まさに「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」だと感じました。それほどに美しく、身が引き締まる思いでした。他校から見れば「こんなこと」とみえるかもしれません。しかし、このかいあって生まれる美しさこそが、先輩方が代々継いできた「西遠の美しさ」なのだと思います。そして「西遠の美しさ」は、これからも私達をはじめとする在校生が、受け継いでいくものだと思っています。これをしっかりと自覚し、入寮指導で得たことを活かし、あのときの先輩のような凛として気品にあふれる西遠生になれるように、これからも立ち振舞や言葉遣いを意識していきたいです。(高校1年)

ご指導くださる先生方はもちろん、指導生の所作の美しさに気づき、身の引き締まる思いだったという生徒の感想を読み、こうした気持ちが上級生から下級生へと引き継がれていくのだと思いました。中学1年生を指導する中学3年生も、とても凛としていて美しかったです。初めてで戸惑いばかりの1年生も、きっと先生や3年の先輩の美しさ、威厳といったものを感じ、「私もあんな風になれるのかな」と考えたことでしょう。

今日、浜松市立北部中学校での高校模擬授業に参加させていただきました。私が担当した「マナー講座」では、お箸の持ち方も実践してみましたが、受講してくださった3年生の皆さんは、真剣にお箸の作法を実践していました。真剣に向かう横顔、一心に学ぶ横顔が美しいな、と思いました。受講してくださったみなさん、ありがとうございました。西遠生が学ぶ「美」の一端を北部中学の皆さんにも知っていただけたなら幸せです。

きれいな靴箱をきれいに使う

靴箱の使い方にも触れた講堂朝会の私の訓話。こんな感想を書いてくれた生徒もいました。

  • 西遠女子学園に入学してから3ヶ月が経とうとしているなか、たくさんの「美しい」を見つけました。まず靴の整頓です。初めて見たとき靴箱に制靴と運動靴のかかとが全員きれいに揃っていて驚きました。また西遠の校舎を歩いたとき、廊下やトイレがとても広くて、きれいでピカピカしていました。入学する前にこんな綺麗で美しい校舎で3年間過ごすことに対して、わくわくしていました。(高校1年)

靴箱に感動したという感想を読んで、とても嬉しかったのと同時に、ちょっと不安になりました。今年はどうだろう?と。生徒の皆さん、今年度もきれいに靴箱を整頓していますか? かかとをそろえて使っていますか?
私は、講堂でもお話しましたが、図書館の靴箱の美しさにいつも感心しています。今日の放課後も、図書館の靴箱はきれいでした。

放課後、18時半まで自学で利用する生徒は、ここでスリッパに履き替えて3階に行きます。制靴の前の白い丸いものは、彼女たちの校内章です。靴の履き間違いをしないように、そっとかかとに校内章を付けて上がっていきます。スリッパも、制靴も、きれいに整えられていて、図書館の秩序というものを感じさせてくれます。きれいなところは誰もがきれいに使おうと努力します。きれいでないところはどうでしょう? どうでもいいという気持ちを持ってしまいませんか? 学園のどの靴箱もきれいに保ちたいですね。

3階に上がって見ると、自学に励む高校1年生に混じって中学1年生も勉強していました。静かな図書館の秩序は、3階にもありました。

美しさに気づく心

  • 身の回りの「美しい」について考えてみると、わたしたちは普段生活している中であまり美しいことに気づいていないことが多いけれど、たくさんの美しいことに囲まれながら生活しているのだなと気づきました。このような身の回りの美しいことをその場で「美しいな」と感じとることができるような人になりたいなと思いました。(2年)

美しさは身の回りにたくさんあるのに、美しいと気づいていない私たち。美しさに気づき、気づいた友人に共感できる、そんな美しい心を持っていたいですね。

今日、入寮の様子を見て生活会館を後にした私は、桜の木に鳥が来ているのを見つけて、カメラで追っていました。そこに通りかかった中学3年生が、つかの間のバードウォッチングに付き合ってくれました。

雨上がりの木には、シジュウカラやメジロが忙しそうに飛び回っていました。生徒たちと鳥のかわいらしさを共有できて、嬉しかったです。

「美しさ」について考えるコーナーはもう少し続きます。