秋休み明けの14日から、本日「第3回中学入試説明会」の行われた19日までの「小さな白板(ホワイトボード)」2025年第37週を振り返ります。
10月14日(火)
なまこ壁続く津和野路急き歩む鴎外の生家まだまだ遠く
清水泰子

後期最初の白板は、10月14日の「鉄道記念日」からスタートしました。
国土交通省のホームページによると、【明治5年(1872年)10月14日新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開通したことを受け、平成6年(1994年)、その誕生と発展を記念し、毎年10月14日を「鉄道の日」と定めました。】とあります。
私がこの「鉄道記念日」を初めて知ったのは、2007年のことでした。秋休みを利用して津和野への旅を企画し、一人旅を案ずる母がくっついてきて、母子2人旅となったのですが、新山口から津和野までの列車を予約したところ、それがSLだったのです。ラッキーとばかりその汽車を待っていると、中に明治時代の服装の男女が乗っているではありませんか。その日は10月14日、鉄道記念日を祝して、山口大学の学生さんが明治のコスチュームで乗客を迎えてくれたのでした。そんなわけで10月14日鉄道記念日は、津和野へのSLと共に心にしっかりと刻まれたのです。しかも、到着した津和野で向かったのは、文豪森鴎外の生家でした。
となったら、この短歌、今日出すしかない!と思い、津和野路を鴎外の生家へと向かう道のりの遠さ(ほんとに結構長く歩きました!)を思い出しながら、この短歌を白板に書きました。


というわけで、津和野路を詠んだ短歌に始まり、第37週は、旅情を誘う短歌を特集しました。
10月15日(水)
二両なる大糸線の揺るがせる沿線の秋とくにコスモス
藤島秀憲

「大糸線」は、長野県松本市の松本駅から新潟県糸魚川市の糸魚川駅までを結ぶ路線です。2両の短い列車が通り過ぎるとき、その風圧でコスモスが激しく揺れたのでしょう。大糸線の車両が周囲の秋を揺るがせる、というとらえ方に風情を感じ、秋の信濃の風景が目に浮かびました。そして、それは信濃路への憧憬へ…。旅!旅!旅がしたい~!
10月16日(木)
電車より三角サンドの如く見ゆサンプラザわが歌の故郷
黒岩剛仁

サンプラザとは、東京の「中野サンプラザ」を指します。あの独特な建物を、巨大な三角サンドに見立てるとは! 「わが歌の故郷」という表現に、作者にとってこの中野サンプラザがとても大事な場所だということがわかります。私も、初めて東京でコンサートに行ったのは中野サンプラザでした。地方に育った人間にとって、「サンプラザ」はまさにコンサートの聖地! 18歳になりたての3月、生のサンプラザを見た感激を今も鮮明に覚えています。
10月17日(金)
忠敬の四千万歩思ひつつけふ公彦の歩きし千歩
高野公彦

「忠敬」とは、もちろん伊能忠敬のこと。日本列島を歩き尽くして日本地図を完成させたい人です。その歩数、実に4千万歩! 作者の高野公彦さんは、忠敬の偉業に驚嘆しながら、朝の散歩の千歩を振り返ります。いえいえ、公彦さん、散歩で千歩はすごいです! 己の運動不足を反省しました。古の人は歩くしかなかったとはいえ、その足で日本地図を完成させた執念には圧倒されるばかりです。
10月18日(土)
どの旅も本を一冊持って行き二つの旅を同時進行
上田結香

私も旅に出るときには本を持っていきますが、実際の旅と、本の中の旅、同時に進行する二つの旅って、実はとても贅沢なことなんだなあと改めて思いました。2007年の津和野への旅には、中原中也と森鴎外と安野光雅の本3冊をもっていって、往復の山陽新幹線で読みましたっけ。カナダに行ったときには、機内で読んだジュニア新書「祖母・母・娘の時代」に涙したことを覚えていますし、イギリスへの機内で「イギリスはおいしい」(林望)を読んで、イギリスの料理がいかに不味いかを知ってしまい、激しく動揺したことも忘れられません。上田結香さんの短歌に、いろんな旅の記憶を蘇らせることができました!
10月19日(日)
旅に出ようローカル線の秘境駅ちょっとくすんだ心を洗いに
中村桃子

入試説明会で図書館を見学する皆様に、旅に出よう!という短歌を書かせていただきました。
ローカル線に乗り、ごとごと揺られて、秘境駅に着いた時、きっと心のもやもやが晴れるのではないでしょうか。
「ふらんすに行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し せめては新しき背廣をきてきままなる旅にいでてみん。」(萩原朔太郎「旅上」より)を思い出しました。
説明会にご参加の皆様、ありがとうございました!
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キンモクセイ、とてもいい香りがします! よい季節になりました。
