5月の連休中に、長い間の宿題だった物置の大掃除を、弟夫婦と共に行いました。片付けの苦手な私には難行苦行(笑)。働き手として参加した息子の手際の良さに、「ホントに私の子だろうか?」と思うほど、働きの悪いオオバでありました(あ、その場にいた人、みんなオオバだ。家族の皆さん、働き者じゃなくてごめんなさい)。
そんな中、とてもとても懐かしい、個人的なお宝に巡り合うことができました。
祖母の賞状がいっぱい発見され、その中に、西遠女子学園からの感謝状がありました。祖母は西遠のPTA会長を務めていたことがありまして、富郎先生から本当にご丁寧な文面の賞状を頂いていたのです。昭和31年のことです。富郎先生の慈愛に満ちた文章に、時を超えて感激しました。
続いて、私と妹の中高時代のノート類の入った段ボールが出てきて、その中から一冊の大事なノートを発見することができました。それは、中3の時に書いていた「読書ノート」です。他のノートに全く未練はないのですが、この読書ノート、西遠卒業後ずっと行方不明で、教員として同僚となった恩師の乾初江先生から「あなた、あのノートはどこに行っちゃったの?あなたの読書ノートは、とても大事なものだったのよ、見つけなさい」と言われていたのでした。それが、先生に叱られてからきっと30年以上経つ今頃になって、出てきたのです!!


なんとふざけた筆跡でしょう。これでもしゃれたつもりだったのかなあ。
3マ13とは、3年松組13番のこと。おお、私は、3年から6年まで、出席番号13番でしたっけ(ちなみに、1年15番、2年14番で、大学は16番。ついに一桁の番号は学生時代出会えませんでした!)。
「星の王子さま」の挿絵を色付きで模写していたなんて、すっかり忘れておりました。
忘れてはいけないのが、私の記録よりも大事な乾先生のコメントです。その年、国語の教科担当だった乾先生がいかに私の感想文に真摯に向かい合ってくれていたかを、50年後にかみしめました。


内容の薄い感想文にも、ちゃんとコメントしてくださって、他の本も紹介してくださいました。「木かげの家の小人たち」に続編「くらやみの谷の小人たち」があることも、この時教えていただいたのでした。なのに、すぐ読まずに大人になってから読んだ私は、ホントに先生不孝者です…。
乾先生のコメントは、私の教員人生のお手本であり、本当に私のお宝です。時を経て、余計に思います。
ノートを見つけた時、オオバは叫びました、「初江先生、読書ノートあったよーっ!」
聞こえるはずないので、お手紙書こうと思います。長年の感謝を込めて…。
昨年亡くなられた池ヶ谷久先生直筆メモも出てきました。

これも中3の時のです。中学3年生の時、私は前期生活執行部長を務めました。生徒総会で質問が出た折に、舞台袖から池ヶ谷先生が舞台の私に投げ込んでくれたメモがこれです。
何と端整な字! 私は池ヶ谷先生の字の大ファンでした。走り書きのメモには到底見えません。しかも、理路整然とした文章…。行って、にちゃんとルビまで振ってくださった先生の優しさ。なのに、ルビのないところで漢字を読み間違えたことまでいまだに覚えている、まさに忘れられない生徒総会の証拠物件でした。あの時、きっと舞台袖で、オオバの読み間違いにのけぞっていただろうなあ、と今さらながら赤面しております。50年前のお宝その2です。
このほかにも、小学5・6年生の頃の朝の日記(学校で必ず書いていたもの)も出てきて、これも捨てられないシリーズになりました。つたない文章、汚い字で書かれた日々の出来事の羅列ですが、コメントを書いてくださった杉山善秋先生の字と言葉を懐かしんでしまいました。「書くことがない」という内容を書いては、「よく観察しなさい」と辛辣なコメントをもらったことも、蘇りました。
物置掃除で出てきた私の複数の「原点」。片付け担当としては劣等生でしたが、とても嬉しい出会いに満ちた一日でした。


