「公孫樹の木も箒になった」

いちょう広場のいちょうの木。この写真は先週の17日(土)に撮影したものです。今朝、この写真を改めて見たとき、「うわっ、これは『公孫樹(いちょう)の木も箒(ほうき)になった』そのものだ!」と思いました。

ご存じの方も多いと思いますが、「 公孫樹の木も箒になった 」は、詩人高村光太郎の有名な詩「冬が来た」の一節です。

 「冬が来た」
       高村光太郎
 きつぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹の木も箒になつた

 きりきりともみ込むやうな冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た

光太郎は「冬の詩人」と言われていて「冬が来る」「冬の言葉」など、「冬」がタイトルになっている詩もたくさんあります。その中でも、「冬が来た」は一番有名ですね。ちょっと攻撃的すぎるような表現もありますが、冬という脅威を自分の力にしてしまいたいという彼の「どこにもなびかないぞ」という強い意志を感じます。

「智恵子抄」では、前半は、恋愛からつつましい新婚生活へ、「清貧」の中に生きる夫婦の姿を歌い、後半では、愛する妻が壊れていく悲しみ、何もできない無力感から、やがて訪れる永遠の別れの直前のひとときが「レモン哀歌」で描かれ、さらに、妻亡き後の詩が哀切の情を訴えます。彼は、智恵子の死後、空襲で東京のアトリエも失い、失意の中で宮沢賢治の弟を頼って岩手県の花巻を訪れ、そのまま雪深い太田村に居を構えました。小さな小さな小屋でした。今も残っているその「光太郎山荘」を見に行くと、その何もない小さな空間で7度の冬を過ごした彼の息吹までが感じられます。あの小さな小屋でたった一人で過ごしたことを考えれば、彼が冬の詩人と言われることに納得できるのではないでしょうか。私自身、大学4年の春に訪ねて以来訪れたことはありませんが、なつかしい山荘と資料館に、いつか再び行ってみたいと思っています。

図書館には高村光太郎の詩集や本がたくさんあります。生徒の皆さん、どうぞ手に取ってみてくださいね。


【参考】左の写真は、「箒」になる前の、11月11日のいちょうです。まだ緑色が勝っているこのいちょうの木が、わずか一か月で箒になってしまうんですね。 今日は一段と冷え込みが厳しく、最高気温も上がりません。「きっぱりと」来た冬・「人にいやがられる冬」・「虫類に逃げられる冬」に、皆さんはどんな心構えで挑みますか?