秋分の日をはさんだ第35週。学園祭までのバタバタした雰囲気の中、図書館入り口の「小さな白板(ホワイトボード)」のラインナップです。
9月22日(月)
卓の上の葡萄の声が聞きとれる静けさに包まれてしばらく
荻原裕幸

葡萄(ぶどう)のおいしい季節ですね。秋には、静けさも似合います。誰もいない食卓の上にある葡萄、その声が聞き取れるぐらい静かな静かな時間が流れています。その空間に身を置くことができる幸せを、作者も静かに静かに味わっているのでしょう。
9月24日(水)
レトルトカレー食べくらべしてこれだねとポークカレーをまた買ひに行く
田村元

なんだかほほえましい光景ですね。プリンとかポテトチップとかの食べ比べではなく、レトルトカレー! 生活感とプチ贅沢感が漂います。そして、一番気に入ったものをまた買いに出る行動のおかしみ。でも当の本人はすごく真剣な感じもします。
9月25日(木)
近づくとグワンとエスカレーターが動き出したよめんどくさそう
工藤吉生

あるある!と共感してしまった短歌です。人気のないところのエスカレーターに近づくと、そろそろと動き出すエスカレーター。「あああ、来ちゃった。休んでたのに・・・」とエスカレーターのぼやきが聞こえてきそうな短歌ですね。
9月26日(金)
あったかもしれない日々を思いつつひとり軽やかに食む桃のパフェ
工藤朱音

旧ツイッターで出会った短歌です。「あったかもしれない日々」って、もしかして好きな人と過ごすはずだった時間でしょうか。失恋?と思いましたが、桃のパフェを「軽やかに食む」という言葉に、ポジティブな雰囲気が感じられて、「その選択で正解!」と自分らしい選択をした作者にエールを送ってしまうのでした。
9月27日(土)
人類の中で最初に、核兵器の正体が悪魔の弟子どもであることを体験したわたしたちには、そう呼ぶ資格と、そう呼ばねばならない(人類にたいする)聖なる務めがあります。
井上ひさし

この言葉は、演劇「母と暮らせば」のパンフレットに書かれているそうです。「母と暮らせば」は長崎を舞台にしたもので、原爆で亡くなったはずの息子が母親の前に亡霊として現れてくる不思議なお話。母と息子の交流を描いたもので、作家の井上ひさしさんが生前「長崎の原爆をテーマにしたものを書きたい」と語っていた思いを、映画監督の山田洋次さんが受け継いで実現したものです。映画では、吉永小百合さんと二宮和也さんが出演。舞台では、富田靖子さんと松下洸平さんが演じたものが話題になっていましたね。長崎出身の木場笑里さんをお迎えしたこの日、白板に井上ひさしさんのメッセージを書きました。「そう呼ぶ資格」とは、核兵器は「悪魔の弟子」だと呼ぶ資格。私たち日本人は、核兵器を「悪魔の弟子」だと呼ばねばならない「聖なる務め」がある、と井上さんは訴えています。